会社を辞めるべきか、辞めないべきかと訊ねられたら・・・
昨夜、久しぶりに会社員時代の仲間と飲みに行った。
会社に残っている人がひとり、曲折を経てライバル会社に転職した人がひとり、僕を含む残り3人は自営である。
2年前に会社を辞めて事業を始めた後輩のD君が、思わぬことを言い出したのでびっくりした。
「和田さんに、会社を辞めてもなんとかなるって言ってもらったから、辞めたんです」
びっくりした。
たしかに、2年だか3年だか前に、Dくんとたまたま会い、近況を話したときに、辞めることは聞いていた。
「辞めることになりました」と言うので、「なんとかなるよ」って励ました覚えがある。
が、悩んでいるDくんの背中を押した覚えは、ぜんぜんない。
「いや、あの時は、僕の心の中では辞めることを決めていたけど、まだ人事に言ってなかったんです。2日後に人事に言いに行きました」
肝を冷やした。
幸い、Dくんの事業は無事に立ち上がり、地に足をつけた商売のやり方で、順調に業績を伸ばしている。
ほんとうに良かった!おめでとう!
しかし、辞めるべきか辞めないべきか悩んでいる人に、「辞めたほうが良い」などとアドバイスなどできるものではない。
自分が辞めるときのことを思い出して、ようやく合点した。
僕も辞めると決心してから、実際に会社にそれを言うまでに、何日もかかった。
高い高い飛び込み台から飛び込む時のように、文字通りうじうじして、上司にそれを言うことができなかった。
たぶん、Dくんも、そんな僕と同じような状況、精神状態にあったのだろう。
そして、結局、僕は知らぬ間に彼の背中を押してしまっていたのだ。
「辞めるべきか、辞めないほうが良いか」を相談されたら、「辞めるべき」とも「辞めないほうがよい」とも言えない。
この記事が拡散したためか、最近僕のブログには、「会社を辞める」「会社を辞めたい」という検索ワードで来られるかたが多い。
きっと、世間には百万の「辞めたい」仲間たちがいて、どうすべきか悶々と悩んでいるのだろう。
「辞めても、文字通り、地面にモノを並べて売ることから始める気があるなら、絶対になんとでもなるよ」と言い切りたいのはやまやまだ。
Aである!と言い切らない言説などに価値はない、と言う人だっている。
悩んでいた時に僕が相談したある自営業の先輩は、「なんとでもなる。頭の良い人は頭で、情の厚い人は人情で、身体の丈夫な人は身体で、ひとそれぞれやりかたは違っても、必ず食えるようになるよ」と言ってくれた。
僕が辞めることを決心したとき、その先輩のこの言葉が真実に思えて、退職・自営に飛び込むことができた。
先輩が一般論としてそう言ったのか、僕という人間を見てそういったのか、わからない。
なぜ先輩が、悩んでいる僕に向かってそう言い切れたのか、僕の背中を押す勇気があったのか、いまでもわからない。
だけど、たしかにその先輩の言葉は、僕の将来を切り開いてくれた大きな要因のひとつなのだ。
人生を決めるような大きな岐路に、何かをアドバイスするのは難しい。
親しい知人やよく知った後輩にすら、それを言うことは難しい。
まして、ブログに書いて、不特定多数の人に拡散してしまい、意図とは異なる影響をたくさんの人に与えてしまったらどうしようと考えると、恐ろしい。
言い切らない言説に価値はないと言われても、やっぱり、言い切れない。
やっぱり、僕にはできないのだ。
先輩は、僕が独立しても絶対になんとかなるという確信をもっておられたのだろうか。
僕という人間の能力を見抜いていたから、そう言えたのだろうか。
万一のときの責任をひっかぶる覚悟があったから、そう言えたのだろうか。
僕よりも、深い洞察力と信念をもって生きておられるので、そう言えたのだろうか。
それとも、Dくんに語った僕の言葉のように、それがそれほど大きな意味をもつとも思わずに語ったものを、僕が勝手に土台のひとつに据えただけの話なのだろうか。
photo by lance robotson