人生最高のモテ期がやってくる~「おっちゃん」から「おじいちゃん」になるってことは!
若く見られる。
30代前半のころ、早朝釣りに行っていたら、お兄ちゃん、はよ学校行きや、と言われた。
だいたい、40才ぐらいまでは、10才ぐらい若く見られ続けてきたような気がする。
最近、その差がだいぶん縮まってきて、5才ぐらいになってきた。
さすがに、最近は、誰も、オニイチャンとは言ってくれない。
近頃はとんといかないので実際のところはわからないが、飲み屋のおねえちゃんも、オニイサンとは言いにくいのではないだろうか。
となると、彼女たちは僕のことをなんというのだろうか?
ココロのなかでは、「このオヤジ」と思っていることは間違いないとして、営業上「おじさん」とは言えないだろうから、「パパ」とか、「しゃちょーさん」とか言うのだろうか。
このことに関しては、ちょっと興味が湧いてきたので、また、誰かがおねえちゃんのいる華やかなところに連れて行ってくれることがあれば、じっくり観察してみて、報告することにする。
ところで、最近、考えていることがある。
僕は、いつになったら、「おじいちゃん」になるのだろうか、ということだ。
生物学的には、孫が生まれたので、すでに「おじいちゃん」で、地球上、唯一、彼女は僕のことを、「おじいちゃん」という正当性をもっている。
だけど、ほかの誰も、僕のことを、いまだにこうして、一人称を「僕」などと書いているこの僕のことを、「おじいちゃん」と呼ぶ権利はない。
ちなみに、僕は現在、54才だ。
いつのころだかわからないが、たしかに、僕は、ある時、「おっちゃん」「おやじ」「おじさん」に脱皮したのだ。
いや、「おっちゃん」という名称に屈したと言ってもよい。
そして、いま、考える。
僕は、いつ、「おじいちゃん」という呼称に屈するのか、と。
うちの親父も同居している嫁の親父も、80才半ばだ。
どうみても、すでに、おふたりは、「おじいちゃん」に見える。
うちの親父は数年前まで社交ダンスをやっており、鼻の下を伸ばしていたらしく、おふくろがブツブツ言っていたが、いまでは、ややおとなしくなっている。
嫁の親父さんは、認知症がすすみ、あれだけ嫌っていたデイサービスに行って、折り紙つきのカレンダーをつくって持って帰ってくる。
僕もおふたりと同じ年齢になる30年後までのどこかのタイミングで、「おじいちゃん」になるのだ。
いや、ほんとうにならなきゃならないのか?
幸い、僕は自営業なので、定年はない。
その気になれば、いつまででも働き続けることができる。
若い人のポストを塞いでいるわけでもなく、どこかに大きな影響力をもっているわけでもないので、自分の場所に居続けたからといって、「老害」と非難される筋合いもあるまい。
いつまで仕事する?と、最近、よく嫁と話をする。
嫁はある程度の年齢で引退したいようだが、僕は迷っている。
引退してしたいことが、とくにみつからないのだ。
たったひとつ、死ぬまでにしてみたいことがあって、それは、カナダかアラスカへのフィッシング旅行である。
でも、それは、引退しなくても、ちゃんと計画して、長めの休みをとれば可能だ。
だが、はっきり想像できるのだが、引退して釣り三昧の生活を送ったところで、3ヶ月もあれば完璧に飽きる。
仕事を続けながら、いまよりちょっと多い目の休日をとり、その休日の範囲で好きなことをするのが、一番幸せな気がするのだ。
そもそも、「おじいちゃん」にならなきゃいいんだ。
もちろん、物忘れはひどくなり、腰は曲がり、目も悪くなって、仕事の効率は落ちるかもしれない。
たしかに、この業界でも、歳をとって、汚れがちゃんと見えなくなったらオワリ、という話はある。
まあ、しかし、汚れがよく見えなきゃ、汚れがよく見えないおばあちゃんに、ホストばりの口八丁で売って、幸せになってもらったら、それはそれでいいのかもしれない。
歳なんて忘れて、いまと同じように生きるとして、一番の問題は、車の運転だ。
うちの親父も、嫁の親父さんも、あるタイミングで、車の運転を諦めた。
うちの親父は、物損事故をおこして、相手から小銭をせびられて、僕が相手と交渉しないといけなくなって、やっと、車を手放す決心をした。
僕のいまの一番の趣味は、車の運転だ。
それを手放すのは辛い。
しかも、それを諦めることは、「おじいちゃん」という呼称に対する全面降伏であるようにも思える。
いやいや、悲観的に考えるのはよそう。
そのころには、自動運転が一般的になっており、事故をおこしたくても、おきない世界になっているはずだ。
ところで、「おじさん」の加齢臭については、さまざまな研究がなされており、つい最近も、マンダムがオヤジ臭の成分をジアセチルであると特定し、それが中年男性特有のいやなにおいを発生させると発表して話題になっていた。
いちいち、うるさいよ!
愛すべき我らがオヤジ連中は、ちかんに疑われないように両手を上げて、ビクビクしながら満員電車にのって、好き好んで、オヤジ臭をぷんぷんさせてんじゃないんだよ。
そんなことよりも、もっと大事なことがある。
中年期を過ぎて、高齢者になった男は、いい匂いがするのだ。
去年、アメリカの研究者が発表して話題になったが、そんないい話は例によって、さっさと忘れられる。(日本語・英語)
ネットで検索すると、老人の臭いが・・・などとたくさん書いてあるが、実際のところ、結婚前のお嬢さんのように清潔にしていれば、シニアは、良い匂いがするのだ。
そして、人間はその匂いを嗅ぎ分けられる。
その研究者はこんなことを言っている。
なぜ人間がそんなことができるかといえば、ほかの多くの動物と同じように、良い遺伝子をもった個体を嗅ぎ分ける能力が残っているのではないか、と。
つまり、「長年生き抜いてこれた」という事実は、生物の世界では、良い遺伝子をもっていることの最高の手がかりになるのだ!
たしかに、僕の外見は、ますます、「おじいちゃん」になっていくだろう。
だが、僕の匂いは、「おやじ臭」から転じて、どんどん良くなっていく。
自分の遺伝子を優秀な遺伝子と対にして後世に残したいと思う女性たちを、ますます引き寄せてしまうことになっているのだ。
写真と下に貼った動画は、イギリスのオシャレなおばあちゃんたちのものだ。
そのおばあちゃんたちがこんなことを言っている。(こちらの記事参照)
「若く見られるためにこんな風にオシャレをしているんじゃないの。オシャレをするのが私のアイデンティティだから、そうして楽しんでいるだけ。人にどう見られるかよりも、自分らしくありたいの」
おお、そうだ!
僕ももっとオシャレになろう。
まもなく、素敵な匂いが僕を包んで、生涯経験したことがなかった「モテ期」がやってくるのだ!
「おじいちゃん」なんかに、なってやるものか!
待ってろよ!
飲み屋のねーちゃんたち!