ICHIROYAのブログ

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複合競技のチャンピオンを目指せ

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 複合競技のチャンピオンを目指せ。

 

 これは僕の持論だ。

 正しいか、どうかわからない。

 でも、若いひとに訊ねられたら(訊ねられもしないが)、必ずそうアドバイスする。

 最近はブログやアフェリエイトで稼ぐ方法とか、ノマドで稼ぐとか、色々言われているけど、どうもピンとこない。

 自分の立ち位置をしっかり確保して、ちゃんと稼ぐためには、複合競技だ!としつこく思う。

 今日は、僕がなぜそう思っているのか、興味のあるひとは読んでみて欲しい。

 

 

 僕は42才で会社を辞めた。

 中学生と小学生の子供がふたり、嫁もほぼ専業主婦で、マンションのローンもあり、貯金はなかった。

 ただし、19年間勤めた会社からある程度まとまった退職金をもらった。

 それはマンションのローンの残額には足らず、結局のところ、ゲンナマは少しあるけど、資産マイナスからの再スタートだった。

 辞めるときには、一応のプランがあった。

 百貨店関係のBtoBサイトをつくろうと思っていた。

 だが、事務所まで借りたが、辞めてすぐに、プランの甘さ、実現可能性の低さを思い知った。

 そいつを諦めて事務所を引き払ったら、まったくのゼロ、仕事はない、あてもない、お金はジリジリ減っていく、という状態に陥った。

 

 

 しかし、嫁に言わせると「神様」が、僕らに仕事をくれた。

 露天で偶然みつけた古い着物を、アメリカのオークションサイトebayで売ってみたら、儲かったのだ。

 それを糸口に12年間食ってきた。

 子供ふたりも大学に行かせてやれたから、スタートを考えれば、ありがたいことに、充分に稼がせていただいたといっても良いと思う。

 もちろん、そうしていただいたのは、何をおいてもお客様や、取引先の皆さん、そして、スタッフたちで、充分な感謝の言葉も見当たらない。

 

 

 そして、振り返ってみて、思うのだ。

 気がついてみたら、「複合競技のチャンピオン」になっていたから、食えたのだな、と。

 

 どういうことかというと、アンティーク着物、リサイクル着物の商売というのは、昨日、今日始まったものではなく、古くは江戸時代までさかのぼる、伝統的な商売だ。

 「アンティーク・リサイクル着物の商売」を競技とするなら、それはひとつの独立した競技、たとえば、「フェンシング」である。

 「フェンシング」の競技でチャンピオンになるためには、相当な年月の練習が必要になり、新参者がすぐに上位に入るのは至難の技だ。

 もし、僕らがあの時点で、「アンティーク・リサイクル着物の商売」という競技に参加しようとして、店をもっていたら、たぶん速攻で潰れていたと思う。

 どこにでも古くから頑張っておられるお店があり、それらのお店は技術(たとえば目利き)でも、お客様の数でも圧倒的なので、新参者がやすやすと食えるようになるとは考えにくい。

 

 

 結果的に、僕らがしたことは、「海外に」、「ネットで」、「アンティーク・リサイクル着物」を販売するということで、これは、いわば、複合競技なのだ。

 1人で射撃・フェンシング・水泳・馬術・ランニングの5競技をこなし、順位を決める「近代五種競技」のようなものだ。

 

 長く古い着物の商売をされているかたは、当時、ネットには見向きもされなかった。

 ネットで売れることに気がついた比較的若い業者さん仲間も、ヤフオクで売ることに必死で(これも当初凄く売れた)、海外に売ろうなどとは考えもしなかった。

 この、「海外に」・「ネットで」・「アンティーク・リサイクル着物」を販売するという複合競技の競技場には、ほとんど競争相手がいなかったのである。

 正確には、2001年当時、日本全国で数えても、ライバルは数人しか存在しなかった。

 そして、そこには大きな需要が眠っていた。

 

 当時からアンティーク着物のマーケットは海外にもあった。だが、海外のディーラーが日本に出張してきて小売店で買ったものを、自国で販売していたので、日本の小売価格の数倍から10倍の値段で取引されていたのだ。

 そのときの僕らには、安定した仕入れルートはなかったのだが、ちゃんと向きな商品を選べば、小売店さんで仕入れさせてもらっても、充分に価格競争力のある値段で提供できたのだった。

 

 

 さて、「海外に」・「ネットで」・「アンティーク・リサイクル着物を販売する」という業態を複合競技にたとえると、どんなスキルが必要だろうか。

 

・「海外に」 → 英語

・「ネットで」 → ウェッブ、プログラミングなどの知識

・「アンティーク・リサイクル着物を」 → 着物の知識

・「販売する」 → マーケティングの知識

 

 

 これだけの知識が必要になる。

 これらの知識を、僕らは家族総動員でクリアしたのである。

 

 英語は嫁が堪能だった。

 僕の英語は受験英語だが、とくに読むことに関しては、ほそぼそと続けており、海外販売に必要な知識をネットで得るには不自由しなかった。

 

 ネットに関しては、ほとんど知識がなかった。

 ただし、会社を辞める前から、HPを自力で開設したりしており、ネットショップを開くための最低限の知識はあった。

 

 恥ずかしながら、着物の知識は、ゼロだった。

 最初のころ、実家の母のもとに荷物を運んで、何十年と縫製をやっていた母に、一枚一枚、いつ頃のどんな着物なのか尋ねてメモをした。

 

 マーケティングの知識は、会社で長く企画の仕事をさせていただいていたので、自然と身についていたと思う。

 

 

 そして、どのスキルも単独で考えると、お寒いものだった。

 単独では、とても食えない、戦えない。

 「着物の知識」や「ネットの知識」という競技では予選落ち確実、「英語」と「マーケティング」は、予選落ちギリギリのラインというところだろうか。

 

 

 しかし、驚くべきことに、この「複合競技」の会場では、優勝を競うほどのプレイヤーになっていたのだった。

 だから、一生懸命にやったら、食えた。

 ほんとうに、面白いほど売れたのである。

 

 

 単独の種目で、食えるほどになるのは至難の技だ。

 長い年月に渡る鍛錬と才能が必要になる。

 たとえば、「英語」だけで、ほんとうに満足のいく稼ぎを得ようとすれば、どこまで頑張ればいいのか見当がつかない。

 嫁の知人に一線級の同時通訳者がいるが、努力だけでは、あのレベルに至ることは不可能に思える。 

 もちろん、そこそこのレベルでも、うまく「英語」の職をえることができる場合もあるだろう。だけど、すぐに誰かと置き換えられる立場は弱い。

 

 

 しかし、「英語」となにかの複合競技なら、食べれる可能性は高まる。

 「医療」とか、「法務」とか、「プログラム」とか。

 

 

 たぶん、ここまで読んでくれた方は、こう思うかもしれない。

 結局、専門職のなかでも、とくに得意な専門性を持てってことでしょ、と。

 

 でも、結果的には同じことなんだけど、ちょっと、違うような気がするのだ。

 

 

 たとえば、僕は数年前、弁護士さんを探した。

 当時、ネットのことや、ネットの商売までツーカーでわかる弁護士さんは、なかなか見つからなかった。

 やっとみつけたのが、現在も顧問をお願いしている川内先生だ。

 まだ小さな事務所だったころの川内先生の部屋を訪れた時、本棚に並ぶ膨大な量のパソコンやプログラム関係の本に驚いた。

 川内先生は、生粋のパソコン・オタクだったのだった。

 そして結果的に、先生はパソコンやネットのこともツーカーでわかる、大阪で唯一の頼りになる弁護士さんになっておられたのだった。

 先生の事務所はみるみる立派になり、その後、別件で訪ねたときには、手一杯でなかなか新規の顧問先をとる余裕がなくて、と笑っておられた。 

 

 

 川内先生も、「IT」x「弁護士」という複合競技のチャンピオンになられたおかげで、お客様がひきもききらずという状態になられたのだな、と思った。

 だけど、たぶん、川内先生は、最初から計算されて、そうなったというわけでもないと思うのだ。

 ただただ、面白いから、好きで仕方がないから、パソコンやプログラムに没頭して少年時代を過ごした。

 職業人として身をたてるにあたっては、弁護士を選んだ。

 そうこうするうちに、世のITはどんどん進展し、そこに新しい需要、いわば新しい複合競技ができた。

 気がついたら、そこでチャンピオンになっていた。

 たぶん、そういうことだろうと思う(先生、違ってたらすみません!)

 

 

 なにが言いたいかというと、こういうことだ。

 ある限られた分野の専門家になることを、最初から、狙いすまして、目指す必要はないかもしれないのだ。

 好きなこと、とくに、時代が新しく生み出していることに、深く没頭していたら、そこで学んだことが、将来、複合競技のひとつの競技になる可能性がある。

 そして、自分ができることをまとめた複合競技をみつけたら、あるいは、時代がそれを生み出したら、その分野でチャンピオンになって、食べていけるようになるかもしれない。

 

 

 僕も振り返って思うのだ。 

 会社勤めをしている時、色々と不満もあったけど、企画・マーケティング・販売の仕事には、すべてを賭けて没頭していたし、その時はとても楽しかった。

 受験勉強も苦しかったけど、英語を得点源とする僕は、英語の勉強は必死にやった。

 ひどいHPだったけど、それだって、一生懸命勉強して、ガツガツと更新していたのだ。

 嫁もブツブツいいながらも、海外のひととコミニケーションをしたりすること、英語が好きで仕方がないのだろう。

 その時、その時を、没頭して存分に楽しんで、また、苦しんできたのだ。

 

 

 狙いすまして専門家にならなくても、自分が好きなこと得意なことを複数、一生懸命にやっていたら、まだ見えない「複合競技」が生まれて、そこでチャンピオンになれるかもしれない、と僕は思うのだ。

 

 

 そういうわけで、僕は常々思っている。

 そりゃ、単独競技のほうがみんなの注目も集まって、華やかだ。

 だけど、単独競技でチャンピオンになれるひとは、ほんの一握りだ。

 近代五種競技は地味だけど、そこでチャンピオンになれば、オリンピックにだって行けるのだ。

 複合競技のチャンピオンを目指すほうが、自立への近道なのだ、と。

 そして、それは、今、大好きなこと、今、与えられている仕事を、一生懸命にやることで、いつか実現できるかもしれないよ、と。

 

 

photo by familymwr