ICHIROYAのブログ

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マネージャーってのは大変なのだ!(またも限界をさらす)

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 自分の考えを書くということは、取りも直さず、自分の限界を晒すということでもある。
 書けば書くほど、ああこの書き手は、こういうことは知らないのだなとか、こういう経験をしたことがないのだな、ということがバレてしまう。
 それを知りつついい歳をした大人が、何かを書き続けるとしたら、それでも吐き出さずにはいられないものが、澱のように溜まり続けるからだ。

 僕は百貨店という小売の企業に就職し、その後辞めて自営業を営んでいるわけだが、人生で一番苦しかったのは、売場のマネージャーにしていただいた最初の1年間だった。

 売場の長、マネージャーという職が必要とするものは、30年生きて学んだことがまったく役に立たず、ほとんどすべてを新たに学ぶ必要があった。
 売場といっても、僕がいたのは百貨店という、いわばもっとも恵まれた売場で、コンビニや深夜営業をしているファーストフードなどに比べたら、相当ゆるいものだったに違いない。
 それでも、お客様へ眼を配り、メンバーのケアをし、毎日起きる様々なトラブルに対処しつつ、業績を上げるということは、一朝一夕にはできるようにならなかった。
 いつだか書いたが、売上は低迷、メンバーのココロは離反し、事故は多発、ついに閉店後の売場で、若い女性スタッフと話をしていて、僕は、文字通り、泣きだしてしまった。

 深夜のコンビニで、たったひとり店にいて、何か起きたら、孤立無援で独力で対応しなければならない。
 百貨店という大きな組織なら、もちろん、上司がいて、たとえば、保安課のひとたちがいて、たしかにいざというときには、助けてくれる。
 自分がマネージャーをする前はそう思っていた。
 だが、マネージャー職というのは、そんなに甘いものではない。

 たとえば、こちらが身の危険を感じる客のところへ、ひとり出向く必要があるとする。
 保安のひとに相談したら、親身に話を聞いてくれるが、「手を出してくれたらなんとかなるんだけどな」でオワリである。
 結局のところ、ほとんどのことを、自分ひとりで解決しないといけないのだ。

 とにかく、毎日がトラブル続きだ。
 トラブルを抱えていない日がたまにあると、それだけで、解き放たれた、幸せな気分になる。

 また、どうしても、トラブルを自分で飲み込んでしまわないといけないこともある。

 そして、それをあくまで自分で背負う覚悟が必要なこともある。
 自分で背負うということは、そのことの責任を追求されたら、自分のものとして全部かぶり、どんな不利益も受け止める覚悟をするということだ。
 昇進の道は閉ざされるかもしれないし、場合によっては、退職しないといけなくなるかもしれない。
 

 売場のマネージャーになったとき、30年近く生きてきて、はじめて、こう感じたのだった。
 ああそうか、自分はこれまで、なんとなく、いつも誰かに、あるいは何かに守られているような気になっていたのだな。だけど、実際は、この危険極まりない社会のなかで、なにがあっても自分で受け止める覚悟で生きていかなければならない。
 マネージャーの職務というのは、自分の存在の、全身全霊を賭けた勝負なのだな、と。
 そんなこんなで、2年後ぐらいには、なんとか売場のマネージャーをこなすことができるようになったのだけど、あの時点で何か事件が重なれば、折れてしまわないとも限らなかった。
 
 売場の長、マネージャー、店長の職というのは、僕にとってはそれほどの大事だった。
 だから、リストラの嵐がやってきて、「最新の小売業や外食産業では、店長だって、アルバイトやパートさんがしているのに、こんなにたくさんの給料の高い管理職がいるのは間違っている!」と言われたときには、びっくりした。
 倒れてしまうんじゃないかと思うほど、精神的にも体力的にも追い込まれ、なんとか倒れずに一皮むけたと思ったら、そんなことは、お前たちでなくてもできるんだ、と宣言された感じ。

 不況が続くと、マスを相手にする小売業や外食産業の大手は、経費削減を余儀なくされる。
 大きな経費のひとつはもちろん人件費だから、より少数の人員で、より安い給与の人員で、より長い営業時間をとなるのは当然だ。
 だから、リストラして人員を減らす。それぞれの社員の担当範囲を広げる。なるべく若くて給与の安いものを管理職にして、高い給与の年配の管理職を外す。正社員から非正規雇用に人員を移していく、ということが行われる。
 たしかに、好況のあいだに、垢がたまり、給与に見合わない仕事でお茶を濁していたひとたちも多くいた。
 だから、ある程度のリストラは仕方がないと思える。

 だけど・・
 数ヶ月前、ある外食企業が、将来すべての店長をパートタイム従業員に任せる方針と発表して、話題になった。

 さすがにこの話には驚いた。 

 いまの社会では、優秀なひとがいったんレールを外れると、そのチカラを発揮する場所がない。
 パートタイム従業員を店長にするということは、そういうひとたちにとっては、素晴らしいチャンスでもあろう。
 また、「僕」にとっては、売場の長であることは、コペルニクス的転回と1年以上にわたる苦闘が必要だったのだが、優秀なかたであれば、さほど苦労せずに、「腹をくくって」マネージャーの業務をこなすことができるのかもしれない。

 しかし、やっぱり、わからないのだ。
 店長であることの責任と覚悟が、パートタイム労働とほんとうに両立しうるものなのか。
 あるいは、両立しうる場合もあるとして、そこまで本当にもとめるべきなのか。
 もし、求めてもよいとしたら、賃金面ではどこまで報いるべきなのか。
 それが、外食産業や小売の、ローコスト経営の最先端のやりかたと考えていいのか。
 いくらなんでも、行き過ぎではないのか。

 不況だし仕方がない。 
 消費者として、便利になる、安くなるのなら、喜ばしいことだ。
 日本の社会は、そんなふうに、どんどん流れていく。
 でも、ほんとうに、それでいいのか。

 
 フランスは、アマゾンから国内書店を保護する姿勢を鮮明にした。
 消費者視点からすべてを語ること、自由な競争をいつも最重要なルールとすること、僕らはそれを当然のものと受け入れているけれど、フランスのように、ノーを突きつける方法だってあるのだ。
 
 いや、たぶん、
僕は、「古い勲章」への愛着ゆえに、あやまった考えにとりつかれているのだろう。

 書けば書くほど、自分の限界をさらすというのは、こういうことを言う。


*念のために、追記。マネージャーの仕事ができるなら、パートタイムから正社員に、あるいは、正社員と賃金面などで待遇の変わらない、別な労働形態にすれば良いと思う。正社員の生え抜きでないとマネージャーにすべきではない、という考えではありません。