リーダーを目指しても、リーダーを目指さなくても、同じく救いはない
なんだかんだ言ったって、会社ってところが凄いのは、僕のようなものでも、「管理職」として扱ってくれたことだ。
僕は、学生時代を通じて、自分が委員長とか、部長とかの経験がほとんどない。
「副」のつく立場は経験があるし、無理矢理させられたことはあったにしても、やっぱりそういう立場になったことはない。
それは、周囲が、僕という人間は、リーダーには不向きであるとみなしていた、もしくは、いつも僕以上に適任と思われるひとがいた、ということになる。
しかし、会社に入ると、数年すれば、否が応でも管理職にしてもらえる。
それではじめて、チームを率いて、与えられた目標を達成するためにはどうしたらよいのか、どうふるまったらよいのか、ということを学んだ。
数年がんばったら、数十人までのチームなら、うまく率いる自信がついた。
会社に入らなければ、それを学ぶ機会はなかっただろう。
いまは、自分の会社をやっていて、十数人のチームだけど、当時、学ばせてもらったことがとても役に立っている。
まあ、しかし、僕の印象は相変わらずらしく、うちの規模を知らずに「十数人も雇ったら、お前やったら、びびってしまうやろ」などと失礼なことを面と向かって言うやつもいる。
だから、会社に所属することがなければ、僕は十数人のチームを率いるノウハウを学ぶチャンスは、一生なかっただろうと思えるのだ。
いつも労働観や社会問題を鋭く切る脱社畜さんの記事、
「リーダーを目指さない」という選択肢
を読んだら、僕も一言書きたくなって、これを書いている。
さて、日野さんは「リーダーになれるかなれないかは、もうほとんどその人の素質によるものだと思っている」と書いておられる。
上に書いたことで、それを否定したかったのか、というと、それはまた違う。
数十人のリーダーシップと、数百人のリーダーシップと、数千人・数万人のリーダーシップは異なる。
実際のところ、僕は、会社で数百人のリーダーになるポジションは与えられなかったし、自分で会社をつくっても、やっぱり、十数人の規模でとどまっている。
おそらく、僕には、数百人のリーダーになるための資質が不足しているのだ。
有能な係長は課長に選抜される。課長でも有能であるとみなされると、部長に選抜される。
率いるメンバーの数がそうやってどんどん増えていく。
しかし、どこかの段階でひとは十分な能力を発揮できないようになり、昇進もとまる。
そういう意味では、結局は資質である、と言うしかないように思えるのだ。
ところで、日野さんは、「ここで見直すべきは、「いずれは課長、部長となって……」といった管理職になること=会社組織における成功、とみなす価値観ではないだろうか」とも書いておられる。
その通りだと思うのだが、それが難しい。
管理職というのは、与えられたヒト・モノ・カネを最大限に活用して儲けを生み出す。
どんな職位をつけられようと、組織にいる専門職は、複数の管理職の指揮下にはいる。
そして、その専門職の給与から職務、そして、いわばその人の生殺与奪は、管理職の思うがままになる、と言ってよい。
会社という組織では、それが運命だ。
そういう状況で、「専門職として、上位の管理職と同等と思える価値観をもて」、あるいは、「専門職の地位を評価せよ」をと言ってみたところで、あまり意味がない。
もちろん、専門職として、管理職と同等に評価される方法はある。
たとえば、ゲームクリエーターや編集者として、抜群の成績を残すようなひとたちは、そういう待遇を得ることができる。
その人をはずせば、会社の業績が大きく傾くというような人材になれば、管理職であるかどうかは、意味がなくなってしまう。
会社のなかで、管理職ではなく、専門職で十分な誇りを得ようとすると、「代替不可能な人材」になることだ。
日野さんがおっしゃるような管理職ではない組織の中での成功を目指すなら、それしかない。
だけど、これまた当然のことだけど、組織としては、「代替不可能な人材」を極力つくらないように運営されている。
それでも突き抜けて、「代替不可能な人材」になることは、相当難しいことを覚悟しておく必要がある。
では、どうすればいいのかというと、たしかに、日野さんがおっしゃるように、「「出世」という価値観に縛られるよりは、自分に向いているやり方で、伸び伸び働く」ということなのだが、それはとりもなおさず、こういうことだと想像しておいたほうがよい。
つまり、自分より上位に出世した同期や後輩などに、自分の給与や職位を決められ、彼らの机のそばに呼ばれて、話すときは敬語を使う。
そして、説教じみたことを言われ、はいはいとうなづいて、自分の席に帰ってから、深いため息をひとつふたつついて、自分に向いているやり方で、「伸び伸びと」働くのである・・・
結局のところ、リーダーを目指そうが、リーダーを目指すのをやめようが、救いはない。
救われるひともいるが、ほとんどのひとは、救われない。
それが組織というものの本性だ。
答えはない。
ただ、そういった状況から救われるには、なにかまったくべつの救いが必要なのではないか、と僕は思っている。
そして、そのヒントは、やはり、彼の話にあるような気がする。
すべての若い人に読んでほしい、今季のアメリカで最高の「卒業生に贈るスピーチ」
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