「アンティークの窓を組み合わせて自分で建てた家」が素敵過ぎる!
家というのは、大工さんに建ててもらうものと思っていた。
だけど、大分の竹職人・経営者の高江さんは、自分でログハウスの家を建ててしまった。
また、大分由布院の森に、ブログ友達のアーティスト、コオロギさんと足達タツヤさんは、土のうでつくるアースバッグハウスを建ててしまった。
そもそも、家というものは、その気になれば、自分で建てることができるらしい。
そんな風に認識を変えたのは最近のことで、自分の家は、どこかの工務店さんが建てた中古の和風の家だし、立地も何の変哲もない住宅街の一角で、上のおふたりのように素敵な森のなかにあるわけじゃない。
実際のところは、「変哲もない」というのも褒めすぎで、家のすぐ近くに、巨大な巨大な球体の貯水槽があり、それがめちゃくちゃ目障りなのだ。
しかも、それは相当老朽化しており、大きな地震でもくれば、破裂して水を吹き出して僕の家まで水浸しにするか、最悪の場合、支えが壊れて、その球体が運動会の玉転がしのように、僕の家に向かって転げ落ちてくる可能性もあると、恐れているのだ。
ああ、理想の地に、理想の家を建てたい!
とは思うものの、そのパッションは薄く、もろく、たぶんこのままあの世まで、持っていくことになるものと思われる。
しかし、おふたりの話や、ネットでこんな話をみつけると、「諦めてしまうこと」の残念さを強く意識するのだ。
上の写真は、アメリカのカップルが自分たちで建てた家である。
最後に動画をつけたので、それを見ていただきたいのだが(画像は動画から切り出した)、なかなか素敵な話である。
ふたりがデートを始めたごく早い段階で、この森を訪れた。
そのときに見た夕陽があまりにも美しかった。
で、「こんなにきれいな夕陽が毎日見れるところに住みたいね」
「そうね。でも、窓が小さいと、せっかくの夕陽を、小さなフレームで見るみたいで、嫌だわ。全部が窓でできているような家ならいいわね」というような話になった。
まあ、ハイハイ、そうですか、ごちそうさま、というような話ではある。
しかし、ふたりはさっそく仕事を辞めてしまった。
ふたりの職業が、写真家とデザイナーであったことが、それを可能にしたのだろう。
そして、ガレージセールやアンティークショップをめぐって、「窓」を買い集めた。
ふたりが「窓」を満載したトラックで、その場所に帰ってきて、家を建て始めたのは、そのデートで夢のような話を語ってから、おおよそ1年後のことであった。
いろんな素晴らしい家の画像も見たが、この家は、格別だと思う。
アンティークの窓だけでつくられた正面からは、雄大な夕陽と、夜になれば満点の星が見えるのだろう。
そして、いくつかの窓は自由に開け閉めが出来て、窓際に座って風を感じたり、高い位置に風を通したりできるのだろう。
もちろん、色々と不便はあるだろうけど、贅沢極まる森の生活が楽しめるはずだ。
この家そのものに対する好き嫌いはあるだろう。
でも、ともかく、ある種の「夢」は、それがほんとうに実現不可能なのか、もう一度、自分の問いかけてみてもよいのかもしれない、と思わせてくれる。
高江さんや、コオロギさんや、足達さんや、彼らのように。