ICHIROYAのブログ

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絶対に潰れない、急成長の会社をつくる方法

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by peretzp


憧れのひとつに、めちゃくちゃ売るセールスマン、というのがある。
そのひとにかかれば、車だろうが、家だろうが、金融商品だろうが、指輪だろうが、輪ゴムだろうが、牛乳だろうが、ドッグフードだろうが、どこぞの氷だろうが、なんでも売ってしまうのだ。
ほかの誰よりも多くの量を高い値段で。


大人になってから、そういうスーパーセールスマンに対する憧れは、とても強いものになったけど、子供のころ、親からさんざん言われてたことに、「営業職はたいへんだ」というのがあって、それが頭に染み込んでいた。
スーパーセールスマンというのは、一級の人間力に支えられているのだ、などということは、けっして、教えてくれなかった。
たぶん、僕が頼りないから、とても、営業マンとして自立できるとは思えず、僕のことを思ってそういってくれたのだろう。
就職のときも、厳しい営業職は敬遠して、会社選びをしたものだ。

しかし、やはり、両親というのは子供のことはよくわかっている。
僕は、望めば、そういう仕事の仕方をできる自営業の立場になっても、それを憧れと語るだけで、みずからそこに飛び込んでみようとはしない、ダメなやつだ。

実は、この間、知人の会社が、あまりに急速に規模を拡大しているので、その理由を聞いて、凄く納得した。
あっという間に、社員百数十人の規模になったのだけど、業種は、とくに目新しいものではなく、古くからある業種なのだ。
しかも、その会社は、いまも、1ヶ月にひとつぐらい、新しい業種に挑戦しており、失敗するものもあるけど、いくつかは芽が出て、その急成長に陰りが出そうな雰囲気ではない、という。

なぜ、そんなことが可能なのか、教えてくんない?

で、答えは、こうだった。

その会社を始めた社長と仲間(現在の経営幹部)は、訪問販売から始めたのだった。
あの、ピンポンと押して、罵声を浴びせられたり、水をかけられたり、警察さえ呼ばれるころがある、厳しいセールスのなかでも、もっとも過酷と言われる販売方法だ。
それを、まだ若い社長と仲間たちが、それを実践して、売りきる方法をみつけた。
規模を拡大するために、ろくに履歴書を見もせずに、たくさんのひとを雇った。
多くのひとは、訪問販売の過酷さに、ココロが折れて、すぐに辞めた。
でも、やりぬいて売上を上げるものもいて、そういう連中だけ残った。
そのころの離職率はすごく高かったが、規模が大きくなった今では、洗練されたやり方をするようになり、ほかの販売チャネルや業態も増えて、離職率が、他の中小企業とくらべて、格段に高いというほどではない、という。
ただし、社長を筆頭に、創業メンバーや経営幹部には、「なにがなんでも売る」というDNAがあるために、どんな分野に出て行っても売る自信がある、という。


こういう会社は強い。
環境が変わっても、社長のココロザシがまっすぐに立っていれば、決して、危機に陥ることはないだろうと思える。
あっ、上場したら、株買おかな! できたら、今、出資させて欲しいな!


イタク納得して、自分の会社に帰って、みんなの顔を見た。
15人ぐらいいるけど、ひとりを除いて、女性ばかりの、まあ、可愛い連中だ。

この素晴らしい話の良い点を、どのように、僕の会社に取り入れるべきか。
翌朝の朝会で、言うことを考えた。

おい、みんな!
売上げアップのために、今朝から、みんなで、訪問販売だ!
これからは、GO! GO! GO!だ!
ついてこれるものだけ、ついてこい!
売れないものは去れ!

と、高揚感に満ちて、その場面を想像していたら、シーンと静まり返った朝会の場で、Aちゃんが手をあげて、こう発言した。

「で、売れなかったら、しゃちょーも去るんですか?」

いや、あの、その、この・・・

やっぱり、僕の会社は、急成長は無理。
僕も、スーパーセールスマンになるのは、無理。

仕方がない。
スーパーセールスマンにならずとも、ちょっとでも、多くのお客様のお役に立てる会社になる僕らならではの方法を考えましょ。