ICHIROYAのブログ

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江戸の古着屋を調べて、現代の衣服・着物について色々考えた(2)

 

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by miltedflower




*江戸の古着屋を調べて、現代の衣服・着物について色々考えた(1)
の続きです

 

前回、江戸時代、庶民の着物は、古着だった、と書いた。
で、産業革命がおきて、衣料品は機械で、以前よりずっと安くつくられるようになり、まっさらな衣類が、庶民でも買えるようになった。
しかも、経済をより高速でまわすため、「まっさらなものを、どんどん、消費せよ」となった。
当然ながら、古着屋は、表通りから姿を消すことになった。


しかし、本当にそれが良いことだったのだろうか。
考えてみたら、江戸時代の衣類のリサイクルというのは、これからの時代にも必要なことなんじゃないか、とも思えてきた。


なぜか。


たとえば、綿のシャツ。
原料は、綿の栽培によってできるのだけど、いまの綿の栽培というのは、効率的にいきつくところまで行ってしまっている。
土壌は殺菌され、農薬と化学肥料漬けにされて、最大の収穫をあげるように育てられる。
「栽培」ではなく、工場による「製造」のようなのだ。
もちろん、その農薬は、農地を傷め、働く人を傷め、将来の子どもたちの健康を傷め、水を汚し、環境を傷める。
しかも、インドなどの生産地で働く人達に、生活に十分な報酬が得られているかというと、それも怪しい。


フェアトレードの取り組みや、オーガニックコットンを普及させようという色々な試みがなされている。
でも、もちろん、オーガニックコットンというのは、人力で害虫を駆除したりせねばならず、手間がかかる。
そして、その分、どうしても高くなってしまう。
情けないかな、人気ブランドのロゴがついていたら、喜んで倍の値段を出す消費者も、オーガニックコットンだからといって、倍の値段を出してくれるひとは少ない。
で、どうしても、主流になれない。


問題は、いまの衣服が「安くなりすぎている」ことだ。
もちろん、テクノロジーがそれを可能にしたのだけど、行き過ぎている。
たとえば、綿の栽培で言えば、現状の農地に比して、過剰な生産を上げている。上げなければ売れる価格にならないので、やむなく、「将来」を犠牲にして、農薬や化学肥料をぶちこむ。
また、安いものを選ぶことで、豊かな国の消費者たちは、無意識に、貧しい国の農民たちを、ギリギリの低報酬の労働へと追い込む。
知っていればそうはさせないに違いないところまで。


いまの衣服の安さは、サステナビリティに立脚していない。
素材を育てるひとも、作るひとも、売るひとも、みんな無理に無理を重ねている。
そして、そのことに、みんな気づき始めている。
環境問題は、今後ますます大きくなるだろうし、グローバル化の進展で、豊かな国と貧しい国の間の賃金格差はますます縮まっていくだろう。
ほおっておいても、ある程度は、この「安すぎる」現状は、ある程度、修正されるかもしれない。


それとも、新たなテクノロジーが、持続可能にするのだろうか。
が、いくらテクノロジーが進んでも、衣服が、自然とかかわる部分は残るのだ。
人間の体は、自然の一部だから、湿気を通し、肌に滑らかな自然素材の衣服を求める。
また、衣服は個性を主張するためのファッションだから、ひとと違ったものが欲しくなる。
どちらも、テクノロジーだけでは、突破できない一線となるだろう。


本当に、強く思うのだ。
衣服は、いまほど、安くなくても良い。
安くなければ、いまあるものを、大切に使うだけだ。
本当に気に入ったものだけ買って、修理しながら、大切に着る。
そして、着なくなったら、リサイクルにまわす。
それを、必要なひとが買って、また、着ればいいのだ。


衣服の値段が多少上がったからと言って、いったい、誰が、不幸になるというのだろう。
江戸時代の庶民は、真新しい着物を買うことすらできなかったけど、今よりオシャレでなかったはずはない。
真新しいもの、今シーズンの色、最新のデザインは、なにもオシャレの必須条件ではない。
結局のところ、大事なのは、センスなのだ。


日本の古着のリサイクル率は、わずか10%程度であるという。
また着用するものとして、国内でリサイクルされるものは、ほとんどない。
品目ごとに大量にまとめられて、ほとんどが、東南アジアなどの海外へ輸出されていく。
僕もそういった倉庫におじゃましたことがある。
廃棄されて集まってくる衣料品の量に圧倒されたが、それでも、それは、わずか10%しかリサイクルされていない、日本の衣料品のリサイクル事情を垣間見たものだったのだ。


欧米のリサイクル率は、25~30%。
ものすごく高いとは言えないかもしれないけれど、日本の倍以上である。
情けない。
かつての日本、江戸時代のリサイクル率は、たぶん、それは80とか90%に達していたはずである。
僕らには、その血が流れているはずだ。


きっと、僕らは、変えなければならないのだ。
ろくに気もしない衣料品をつぎつぎに買い込み、タンスの肥やしにする。
要らなくなったら、焼却処分し、そして、また新しいものを買う。
そのために、また、綿花の種をまいて、土地を殺菌し、化学肥料と強力な殺虫剤を土地に注ぎこむ。
ひとサイクルまわすたびに、大地は汚れ、将来の子どもたちの健康は損なわれていく。


そう、とりあえずの結論は、こうなる。
江戸の人たちに見習って、もっと、衣料品を大切にしよう。
着なくなったものは、リサイクルショップなどに売ろう。
そして、売るだけじゃなく、たまには、古着を買おう、と。


で、「着物」はどうなの、って話は、明日!