読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ICHIROYAのブログ

元気が出る海外の最新トピックや、ウジウジ考えたこととか、たまに着物のこと! 

★★★当ブログはじつはリサイクル/アンティーク着物屋のブログです。記事をお楽しみいただけましたら最高。いつか、着物が必要になった時に思い出していただければ、なお喜びます!お店はこちらになります。★★★


オヤジ・オバハンは黙っていろ、人生なんか語るなって話

f:id:yumejitsugen1:20130314054058j:plain
from Horia Varlan


オヤジは黙っていろ、人生なんか語るなっていう話だ。
僕も、若いころ、そう思っていた。
何が嫌いといって、オヤジというオヤジは、なぜこうも歴史小説が好きなんだろうか。
武将の生き方に、自分の人生の羅針盤を探してるつもりかな、馬鹿じゃないの、と。

しかし、自分がオヤジになってみると、たしかに、人生を語りたくなっている。
しかも、歴史小説に対する嫌悪感も薄れ、塩野七生さんの著作などを、めちゃくちゃありがたがった読んでいる。(ちなみに、昔から、司馬遼太郎は好きだったけど)

で、なぜ急にこんなことを書いているかと言えば、「オヤジは黙ってろ」的な記事を読んで、若いころのオヤジに対する気分が,あまりに鮮やかに蘇ってきたからだ。

【Diary】世代を超えたつながり

年取った人の話は2割くらいしか役に立たない


そして、最近感じていた苛立ちの理由が、ちょっと鮮明になってきた。

どこかの若造が利いた風なこと書きやがって~

これを書いた時、自分でも、なんだか嫌な気分がしたのだが、その時の気分を正直に書けば、そんな記事になったのだった。
で、ちょうど、「オヤジは黙ってろ」と「若造が偉そうな口をきくな」とが咬み合って、どうしても、もう一言、言っておきたくなってきたのだ。

まず、僕は54才だ。
大学は京大、でも、農学部。そして、一浪一留だ。
百貨店に就職し、19年勤めて退社。
いまはネットでアンティーク着物やリサイクル着物を販売する会社をやっている。
スタッフ十数人の小さな会社だ。
まったく、いい加減な人生だったが、たった、ひとつだけ、誇りがある。
42才で会社を辞め、家族を養いながら、まったく未知の分野で稼ぐ道をみつけ、10年、「自ら立っている」、ということだ。

そして、もともとの議論が「オヤジが聴くに耐える音楽がない」という言説から始まっているようなので、音楽の趣味について書いておくと、いまのJポップから、Jazz、カントリーなど、なんでも聴く。いまのJポップがダメだとは全然思わない。いいものはいいし、新しいオトはやはり新しいし、好きな歌詞の歌もあれば、乗らない歌詞の歌もある。ただし、「耳に慣れていない」はっとする音楽をいつも探しているので、長い間色々聴いてきた分、いいと思うものの、バーは、多少高いかもしれない。

ちなみに、同世代の間では、新しいものに敏感で、なんでも新しいものを取り入れる、試すたちだ。( ただし、Fさんには負ける! この大人気ブログを書いているのが誰か、古裂業界のかた、知ってます?? ふふふ~~ )
最近では、3Dプリンターなども仕入れて、試したりしている。


と、あえて、ささやかな人生を語ったあと、上記のふたつの記事を読んで、言っておきたいことを書く。


ひとつめは、それをオヤジが言うのも変なことだが、たしかに、ネット上の議論に、年齢は関係がない、という話である。

論理的に破綻がなく、その視点が新鮮なものは、どんな年齢のひとが書いていようと、読み手を唸らせる。
それは、中学生が書いていようが、老人が書いていようが、価値は変わらない。
「中学生が書いたから」と言えないように、「どうせオヤジが書いたものだから」とも言えない。
ただし、オヤジには言えないことがあるのである。
僕の場合は、実名で書いているので、余計にそう感じるのだが、「論理的には破綻がないが、現実に自分がその言説を飲み込んだとき、その論理どうりに行動ができるのか」とブレーキをかけざるをえないことがあるのである。

若き日のあることを思い出す。
僕の同期の元気なヤツが、百貨店経営について、「こうあるべき」という熱く、刃の立った意見を、時の部長にぶつけていた。
部長はただ黙ってその言葉を飲み込んでいた。
その時、そばにいたその部長と同期の方も、その同期の意見に同調して、部長をせめた。
部長はますます黙り、「そうは言っても・・・」といったきり、反論しなかった。
その場は、部長が「言い込められた」雰囲気で終わり、同期の元気なヤツの株はおおいに上がった。
でも、もちろん、何も変わりはしなかった。
そして、あとで部長が、僕にこぼした。
「若いヤツが理想を語るのはいい。でも、あの場で、いい歳をしたあいつが同調したのにはがっかりした」と。
僕は、そのときの部長の姿を、いまも鮮明に思い出すのである。
ちなみに、その部長は、その後、みるみる出世された。


たぶん、上の話は、また、あんまり伝わらないだろう。

僕がほんとうに言いたいことは、もうひとつ、別の点だ。
なにかと言うと、「歳を取った人の話が2割しか役立たない」とか、「おじさん世代は、若い人たちに人生を語る必要ないし、聞かせる必要もない」と思うのは、もったいない話だと思うのだ。
歳をとっていようが、とっていまいが、「聞くに足る話」はある。
僕が「どうせ若造の言うことだから」と言いながら、若い人の記事も読んで刺激を受けるように。

何が一番言いたいかというと、「オヤジの言うことは役に立たない」と思っていると、身近な年配のひとが、その人のためを思って親身にアドバイスしても、どうせオヤジ・オバンの言うことだから、とせっかくのHelpが役に立たない場合があるのだ。
もちろん、つまらないアドバイスもあるだろう。
でも、その中には、たいせつなアドバイスもあるのである。

そもそも、オヤジが言おうと、教師が言おうと、友だちが言おうと、部下が言おうと、自分を親身に思ってくれるひとが、本当に伝えたいと思ってくれるアドバイスというものは、伝わりにくいものだ。
それは、自分に一番足りないこと、理解しにくいこと、自分の視野には見えてこないことだからだ。
で、結局、一番、伝えたいことは、なかなか伝わらないのだ。


まあ、僕が言いたいのはそういうことだ。
世の多くのオヤジ・オバハンたちのように、数限りない失敗をしてきたので、自分の身近にいるひとが、みすみす同じ失敗はして欲しくない。
だから、一生懸命、説いてみるが、まず、一番伝えたいことは伝わらない。


そして、きっと、この文章も、若い誰かの胸に届くこともない気がする。
若いころに、とくに、キャリアのスタートのときに、素晴らしい先輩、そのようになりたいというようなオヤジがそばにいるひとは、恵まれている。
本田宗一郎や稲盛さんのようなひとに仕えたら、その言葉と言動を、必死で理解しようとするだろう・・・
しかし、たいていの場合、身近にそんなひとはいない。
同じ言葉を同じアドバイスを貰おうと、それが、「ただのオヤジ」から発せられたものなら、ただの鬱陶しい説教になってしまう。


そうだな~~
結局、老兵はただ消え去るのみ、かな。
バーでひとり飲んでいて、隣で若い子たちが、元気な議論をしている。
ついつい口を挟みたくなるが、まあ、氷を揺らして、あんな時もあったな、と思う。
ちょっと、声をかけてくれたらなあ・・・
でも、もちろん、誰も声をかけてくれないので、水割りもう一杯。
そんな感じかな~~~