ICHIROYAのブログ

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どこかの若造が利いた風なこと書きやがって~

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どこかの若造が利いた風なこと書きやがって~と、かなり頻繁に思うわけである、はてなブックマークに上がってくるブログなどを読んでいると。
しかも、腹立たしいことに、そういった記事に限って、たくさんの称賛のコメントとともにブックマークがつき、Twitterでも拡散していくのだ。
さすがに、50年以上も生きて、ある程度の経験も積み、たくさんの文章を読んできたので、そう簡単には、「卓見、ごもっとも。参りました」とはならない。
もちろん、はっと思うような言説に出会うときもないわけではないが。


この若造め、と思って、反論したくなることはあって、ツールとして相手に届くかもしれない反論の手段は用意されているのだけど、悲しいかな、反論しない。
ひとつには、その筆者に共感している、僕と考えを異にする、恐るべき数の読者たちと対峙しなければならないことへの、もろもろの面倒くささがある。
そもそも、僕のような非力な筆者に、そんな面倒が起きるほどの影響力があるかどうかが、問題だけれど。
で、たいてい、僕が主張したいことには、苦いクスリのようなものが含まれている。
苦いクスリは、飲み込んでももらうためには、強い共感や、説得力が必要になるのである。
説得力は、だれがそれを言っているのか、ということが大いに問題になる。
歳をとっているだけではもちろんダメで、共感していただける、説得力のある大人の反論には、言葉に重みを与える、ちゃんと実績が必要なのだ。
残念ながら、53年間生きてきて、説得力に深みを与えるほどの実績がない。


で、その渦中に行って、何かを言うことはない。
エッジの利いた言説が波紋を広げ、またいろんな人たちが波を立てて干渉しあっているルツボを離れ、静かな水面の場所に行く。
そして、できることなら、自分で投げた石で、波紋を起こしたいと、全然違う石を投げ込むのだ。
そんなだから、僕の書くものは、大きな波紋を広げはしない。
いつかそんなこともあって欲しいと、願ってはいるけれど。


しかし、もちろん、僕が「どこかの若造」という権利があるのなら、誰か、僕より年配の経験豊富な方が、たまたま僕の買いたいものを目にして、「どこかの若造が馬鹿なことを書いている」という権利もある。
実際、僕より年配で、人生経験も豊富、ビジネスやその道において、見上げるような実績をもつかたからも、たまに、「読んだよ」といわれるのことがある。
尊敬する方から、そう言われると、すぐに赤くなる僕は、文字通り赤面して、その場で穴を掘って、隠れてしまいたくなる。
そのため、なるべく、偉そうにならないように自制しているつもりなのだが、なにぶん、毎日、無理にでも、書き飛ばしているので、ときに、「偉っそうなことを垂れている」ときもある。


大昔の偉いさんが、40にして惑わず、50にして天命を知る、などと、自分の人生を語っておられたようだが、僕の場合、僕の場合、40にして迷い、50にしていまだ天命を知らずである。


しかし、ついつい、偉そうな講釈を垂れることをやめられず、とどのつまり、50を超えてなお、僕も、「どこかのナマイキな若造」にとどまっているのである。
そして、「この世間知らずの若造め!」と毒づきながら、僕も、「若造」であることを、当分、やめない決心なのであった!