ICHIROYAのブログ

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「ちょっと情けないが、我慢しよう!」と言い残して死んだオトコの話

 

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最近ゲットした男の子の綿入りのベストである。
生地は人絹、中に綿が入っている。
描かれているのは、複葉の戦闘機。
ゼロ戦ではない。
見慣れない機体だ。


調べてみると、この絵に一番近い機種は、九三式中間練習機のようだ。
どうやら僕のオヤジ以上の時代のかたには、赤く塗られた機体のために、「赤とんぼ」呼ばれ、有名だった機種らしい。
しかし、僕は知らなかった、驚愕の歴史をもった飛行機なのだった。


昭和9年に練習機として海軍に採用されたこの飛行機は、ずば抜けて操縦性能が良く、飛行士は皆、この機種で腕を磨いた。
ただし、練習機なので、鋼管のフレームの上に、翼は布張り、躯体は木製であった。
しかも、アルコールを混入した劣悪な燃料でも飛べる、経済的にも優れた性能を持っていた。


が、最先端のものも、10年もすれば、最新機種とくらべて、ポンコツとなってしまうのは、今のパソコンと事情は変わらない。
太平洋戦争後期のアメリカの主力戦闘機P-51ムスタングは、最高速度703km/h。
九三式中間練習機は、わずか、210km/hである。


太平洋戦争末期、練習機であることから国内に多く残っていた、安上がりなこの機種は、カミカゼ攻撃に狩り出されることになる。
それでなくても、非力でスピードのでないエンジンなのに、250kgもの爆弾を積み込み、敵艦に突入するのである。
最高速度は、出て、せいぜい、130km/h。


昭和20年、7月29日。
沖縄の海を包囲したアメリカの大艦隊に向かって、三村隊長率いる7人の飛行隊がカミカゼ攻撃を敢行。
飛行士たちは、その操縦性能の良さを生かして、海面ギリギリを飛んで、米艦隊に忍び寄る。
米軍はレーダーで補足したものの、あまりに速度は遅く、布と木の機体ため、レーダーへの反応も薄い。
敵機か、鳥か、誤作動か?
敵機と判別して迎撃態勢をとるのに手間取る。
カミカゼ攻撃とわかったときには、残り時間、10分というところまで近づいていた。
大混乱のなか、水面ギリギリを、ゆっくり飛ぶ、
九三式中間練習機に、高射砲を発射。
が、
木と布でできた九三式中間練習機には、破裂した弾は当たるものの、穴を開けるだけで、通り抜けていく。

このときのカミカゼ攻撃で、7機中4機が命中。
最新鋭駆逐艦1隻を撃沈するなど、大きな戦果を上げた。


そして、わずか、2週間後、日本はポツダム宣言を受諾し、敗戦。


この男の子の着物は、おそらく、戦争末期近くにつくられたものかと思う。
カミカゼ攻撃に転用される前は、九三式中間練習機は赤く塗られていたはずである。
この塗装は、カミカゼ攻撃をイメージしたデザインなのではないか、と推測している。


元来、男の子の着物には、武将や合戦の柄のものが多い。
強く、勇ましく育って欲しい、という願いが、そういった「戦争」の模様に込められている。
それを見ても、僕らは違和感を感じることはない。
でも、近代の戦争をモチーフにした着物を見ると、強い違和感に囚われる。
「戦争」が、本来の、「殺し合い」の意味をつきつけてくるからだ。


あえて、「特攻」とは書かず、「カミカゼ攻撃」と書いた。
戦後の教育で育った僕らの世代には、「特攻」という言葉にまつわりついている様々なものが、そのオトコたちが選ばざるを得なかった生きザマに、泥を塗ってしまうような気がするからだ。


三村隊長の出発前の日記には、
「九三中練(九三式中間練習機)で死ぬとは思いもよらず。九三中練とはちょっと情けないが、我慢しよう」
と書かれていたそうである。


さて、あなたは、この男の子の着物に描かれた、九三式中間練習機を見て、何を感じられるだろうか・・・

(*こちらのサイトを参考にさせていただきました。興味をもたれたかたは一読をお薦めします。)

*追記 このアイテム、サイトに出品しました~こちらです