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ICHIROYAのブログ

元気が出る海外の最新トピックや、ウジウジ考えたこととか、たまに着物のこと! 

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厳しい体罰こそが最強のチームをつくる (アメリカの高校スポーツで問題となっていること)

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・・・わけがないではないか!
あまりのことに、いかに楽観的な僕といえども、この国のありように、暗澹たる気分になる。

戦場の最前線へ送られることを恐れたフセイン政権下のイラクの選手たちが、火事場の馬鹿力を発揮して、修了間際にゴールをいれて、日本選手を奈落の下に突き落としたことは、今でも鮮烈に覚えている。
が、もちろん、もっとも苛烈な「体罰」を恐れたチームが、いつも「最強」なはずがないではないか。
このときのイラクも、日本と引き分け、日本を予選敗退としたものの、自身も本選への出場はかなっていない。


そもそも、スポーツの指導に、いまだ体罰が行われている、しかも、トップクラスのスポーツ界において、それが行われている、ということには、ひっくりかえるぐらい驚いた。
相撲の世界でそういったことが問題にされたとき、それが「相撲」という一種独特の伝統競技の世界だから、と思ったのだけど、なんのことはない、どんな競技でも行われていたのだ。
しかも、体罰を受けていたかもしれない高校生たちの発言に、またひっくりかえった。
体罰の伝統は、脈々と、時代に受け継がれていきそうな雰囲気ではないか。


僕には、あまりスポーツのことを語る資格はないかもしれないけど、一応、中高時代は運動部に所属し、大学では4年間、体育会のアイスホッケー部に所属して、自分なりにはとことんやったつもりだ。

ご存じのとおり、大学の体育会というのは、上下関係も厳しく、練習も、とくに下級生の間は、苛烈を極める。毎日、練習を思うと憂鬱で、今日やめようか、明日やめようか、というほど追い込まれる。

たしかに、厳しい練習が体力をつくる、という面もあるだろう。
だが、頭の良い先輩たちは、さすがに、「厳しい」ことが「体力・基礎技術」をつくるのではなく、体力・基礎技術を得るためには、練習が辛い場合もある、ということなのだとわかっていた。

強くなるための新しい練習方法がないかと調べていた先輩たちは、たとえば、「ウサギ跳び」が膝に悪いという情報をいち早く仕入れてきてやめてしまったし、ふたり一組でやる柔軟体操は、「痛っ!いたい~~!」などというほどぎゅっぎゅっと押さず、じわっと、ゆっくり押さえたほうが筋肉が伸びてよい、などということも知って、そのようにした。
また、当時は珍しかったスポーツドリンクを持ち込んで、試合中にゲータレードであれば、飲んでもよい、ということにしたのも、そういった先輩たちであった。

そういった情報は、ほとんどがアメリカから仕入れたもので、チームの強さ、個人の技量は、「辛い」「しんどい」「厳しい」を甘受した時間に比例するのではなく、スポーツ生理学の知識を活用して、いかに能率的に、楽しんで練習をするか、にかかっている、とわかっていた。
当時の僕らにとっては、それはかなりコペルニクス的転回だったのだが、その流れは、当然、日本のスポーツ界全体のものになっていると思っていた。

が、単に、精神力を鍛えようとする「厳しさ」のためだけの練習の話ではない。
いまだに、「体罰」が残っている。
わけがわからない。


ところで、チームの指導哲学には、とことん選手の自主性を重んじるやりかたと、軍隊式にすべてトップダウンの命令で律するやりかたの二通りある。

もちろん、僕は前者の指導が好きだし、スポーツなどというものは、すべてそうあるべきだと思う。
後者の恐怖で選手たちを支配する方法が、この日ののぼる国では、「体罰」などという行き過ぎた行為へ導いてしまうのだ。

が、話はそれほど単純ではない。

日本の話で、前者が後者を成績を上回ったという話を聞いたことがあるが、アメリカにも、ちょうど対照的な強豪の2チームがいて、その対戦成績は五分のようだ。
つまり、スポーツ先進国アメリカにおいても、自主性と服従のどちらがほんとうにチームを強くするかという哲学において、決着はみておらず、そのことが、罰で支配する苛烈な指導方法を正当化している面もある。

実際のところ、アメリカではどうなのか。
アメリカのスポーツ界の現状を知る立場にいないので、たしかなことは言えないけど、スポーツの世界に「体罰」などないのは、確実である。
なぜ、そう断言するかというと、ネットで調べていて、こんな記事をみつけたのである。


*Iowa coach accused of corporal punishment for forcing player to run after speaking out of turn


一部、単語の意味がわからないままに紹介すると、アイオアの高校のフットボールチームの指導者が、代表メンバーになにか非礼を働いた2年生を、罰として、ひどく走らせた( ’run wind sprints, hills and laps’ --- この部分の意味が不明です。どなたか正確に訳せるかたおられたら助けてください )ようなのだ。
そして、それが『体罰』であるとして、大きな問題になっているのである。

ほかのページも調べてみると、どうやら、アメリカでも、怒り狂ったコーチが「罰として、ダッシュ50本!」とか、「罰として、校庭10週!」とか「腕立て伏せ100回!」というようなことをやっているようだ。
そういったことを告白しあっている掲示板を読むと、なかには、「2時間、走るばっかりで、パックに触れなかった、とほほ」などという投稿もあり、ちょうど、僕らも体験した、「1時間ずっとリンクを全力で回るだけ」と同じことをやってるんだな、と思った。


が、アメリカでは、すでに、「殴る」「暴力をふるう」などという文字通りの「体罰」ではなく、こういった「罰としての練習」すらが、問題視されているのである。

ここでも、アメリカの凄さを感じないわけにはいかない。
いったい、どの口が、アメリカに追いついた、追い越したなどと、言ったのだろう。

いつまでたっても、アメリカの背中は近くならないのである。