僕に残された時間は?(骸骨の大正更紗を見て思うこと)
大正更紗の逸品を入手した。
骸骨で埋め尽くされている。
更紗らしく、骸骨の半分は、血のような赤で染められている。
男の着物の形で出てきた。
骸骨ひとつの大きさは1センチぐらい。
小さいけれど、デザインが素晴らしく、とてつもない迫力がある。
これを下着として身につけたとき、持ち主の男性は、どんな気持ちがしただろう。
死を身近に感じて生きること。
死をも覚悟して進むと決意すること。
着るものに、そんな覚悟を強いてくる、そんなチカラをもったデザインだ。
そうなのだ。
残された時間は少ない。
でも、ついつい、この時間は、明日も、その次の日も、そして、来月も、来年も、その次の年も、同じように続いていくと、思って行動してしまう。
こういう更紗を毎日身に着けたら、今日という一日が、奇跡的な僥倖でもたらされた大切な唯一の時間ということが、身に沁みて感じられるだろうか。
そう、よく考えるのだ。
残された時間がいかに少ないか、毎朝、電気ショックのように思い知る方法はないかと。
作家Blueseashellさんのブログで教えてもらった、「死へのカウントダウン時計」。
こちらのサイトで、生年月日、 喫煙の有無、体型などを入力すると、残りの寿命を計算してくれる。( *BMI という欄は、下の Height(身長)、Weight(体重)を入力して計算する。センチをFTとIn(フィートとインチ)に換算するのは、こちら。キログラムをポンド(Lbs)に換算するのはこちらでどうぞ)
僕の結果は、これ。
2032年12月18日に死ぬ。
6億2798万秒が残されており、その秒数がみるみる減っていく。
なお、もう少し調べたら、こちらでは、上のサイトより 詳しい条件を入れてさらに精度を上げた寿命を調べることができるサイトがあった。
ちょっと辞書が必要かもしれないけど、すぐに入力できる。
こちらの答えは、
2041年10月15日である。
ちょっと、寿命が伸びた。
しかし、19年、20数年と言われても、まだ、時の短さは、ナイフの切っ先のように喉元に迫っては来ない。
上の結果を信じて、あと19年とする。
オカンと過ごす時間は、何時間あるだろう。
現状では、せいぜい、年に3~4回。それぞれ、数時間。
オカンがあと10年生きてくれたとして、200時間しかない。
大好きな友達やお世話になった先輩たちと過ごす時間は?
ほとんど異なる仕事についているので、せいぜい、2~3ヶ月に1回、会えればいいほうだ。
1回2時間、年10時間。
僕のほうが先に死ぬとすれば、190時間。
心を震わせるほどの感動を与えてくれるアンティーク着物の逸品やアート・映画・本などに出会う回数は、年に数回。
死ぬまでにせいぜい、100回。
心待ちにしているサクラ。
満開のサクラの季節は、あと19回しか味わえない。
そして、今日という特別な一日。
ラブも嫁も僕も1日歳をとって、長女のお腹のなかの子供は、1日分大きくなっている。
冷たい風、昨日とは異なる雲の形と、空の色。
昨日とも明日とも違う、まったくユニークな、今日という、たった1回の日。
そう、毎日、そんなことを、無理にでも、考えるようにしている・・
*英語のみですが、心に沁みます~