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ICHIROYAのブログ

元気が出る海外の最新トピックや、ウジウジ考えたこととか、たまに着物のこと! 

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組織のなかで生きるということ (『64(ロクヨン)』に激しく共感すること)

64(ロクヨン)

64(ロクヨン)

 

組織の中で生きることが、どれほど苦渋に満ちたものか。
『64(ロクヨン)』を読んでいて、鮮やかに思い出した。

『64(ロクヨン)』の主人公は、ノンキャリアの広報官。
キャリア対ノンキャリア、地方対中央、刑事部対警務部という組織の対立の中で、激しく自分の立ち位置を問われ続ける。

「旗幟を鮮明にせよ」と選択を突きつけられて、主人公が殉ずるのは、いま、たまたま奉職している広報官という「職務」にであった。
そして、人間の良心を信じて捨て身の賭けに出て、勝利する。

そういえば、百貨店時代、こんなことがあった。
「京阪神の面白い店を集める」という企画催。
異動してきてヤル気満々の鬼上司Xさんは、Aという店は、「面白くない」からその催から外せ、と厳命。
しかし、時の婦人雑貨営業部長Yさんは、「売上のとても良い店なので、外さない」と主張。
ふたりのあいだで伝書鳩の役をしてきた部下が、進退極まって、泣きついてきた。

Aを外して、新鮮味はあるけれど、売上は見込めない店に入れ替える。
目先の売上は下がるけど、催の魅力度は上がり、将来的には売上アップにつながる。
そうやって楽しいこと、面白そうなこと、新しいことを、どんどん発信していかなければ、店全体が先細りになる。
これが企画部長のXさんの主張。

そんな悠長なことを言っている状況にない。
単に目新しさがないからといって、売れている店を外して、数百万の売上を捨てることはできない。
そもそも、売上の責任は営業部にあり、営業部長がそれでやると言っているのだから、企画は黙っていろ。
これが営業部長Yさんの主張。


小さな問題が、すでに両者のメンツを賭けた、壮絶な戦いとなってしまっている。
両方の部下たちも、その戦いの成り行きを固唾を飲んで見守っている状況だ。
問題は小さなものでも、どちらも引くに引けないのである。

そうなってしまったら、お二人の上位者が話を決めて欲しい、と思うのだが、上は上で、そんな小さな問題で、どちらかの肩を持つことを嫌う。
激しく嫌う。
せっかくそのふたりを重要ポストにつけて、気持よく仕事をしてもらおうと思っているのに、ここでどちらを選んでも、シコリが残ってしまうのだ。
その気持ちもよくわかる。

で、企画部催企画課長で、Xさんの直属の部下の、僕が悩む。
タイムリミットがジリジリと過ぎていく。

そもそも理はどちらにあるのか。
本筋でいえば、催の企画を立てるのは、企画部である。
そして、その催に沿った売り手、店を見つけてくるのは、営業部の仕事である。
だから、営業部が、その店Aを入れると言えば、そうする権限はある。

しかし、そもそも、これまで営業部がその仕事、催に沿った店を自前で集めて来ようとせず、企画に丸投げで、企画が提案するお店をそのまますべて承認してきた経緯があるのだ。
企画側にしてみれば、いまさら、唐突に権限だけを主張されてもなあ、という感じである。

残念ながら、理を突き詰めても、答えは出ない。

もちろん、保身も頭をよぎる。
XさんとYさん、どちらについていったほうが、将来、チャンスが増えるか・・・
わからない。
以前、Yさんにも直属の部下として仕えたことがあり、お二人の仕事ぶりには敬服している。
どちらの期待も裏切れない、どちらのメンツも潰せない。

こんなとき、「旗幟を鮮明にせよ」と迫られたらどうするか。
やはり、僕も、『64(ロクヨン)』の主人公と同じく、そのときの職務である、「企画マン」として、「現在の売上よりも、将来の大きな発展に賭ける」方向に舵を切っていただろう。
ほかの道など選びようがない。
たぶん、A店を切るために、動いただろう。
そして、Yさんのメンツを潰し、Yさんから激しく叱責されただろう。
将来、Yさんに引き上げてもらう、重要ポストで使ってもらう、という道はなくなるかもしれない。

しかし、他に生きようがないではないか。
組織の中の人生は、偶然に大きく左右される。
その結果を甘んじて生きるためには、職務に殉じ、人間の良心と未来に賭けて、決定していくほかない。


ところで、先の件だが、自慢話になって恐縮だが、このときに限って、ウルトラCの解決を思いついた。

Xさんの言うとおりにした。
A店を、その催から外した。
宣伝にも載せず、その催の一覧表からは抹消した。
そして、Xさんに、「催から外しました」と報告した。

そして、Yさんの言うとおりにした。
A店に、その催に隣接する場所、その催の枠の外での場所を提供し、出店してもらうことにした。
そして、Yさんに、「出店してもらいます。売上も確保します」と報告した。

この件は、その催が始まるまで、いわばアンタッチャブルになっていた。
現場を見たおふたりは、驚いただろうけど、僕には何もおっしゃらなかった。


でも、こんなに上手くいったことは、19年間でこの一回だけだ。


組織の中で働いていると、このような対立があるたび、苦悩に苦悩を重ねて、あげく「職務の理想」と「希望と信頼への道」を選び、上司か、その上の上司か、部下たちか、組織か、取引先か、誰からか嫌われてしまうのだ。
そして、自分は確かに立っているのだが、組織の間に堕ちて、身動きできない状況にあることに気がつくというわけだ。

それでも、僕や大勢の組織人とは違い、堕ちずに上手く渡ってゆく方法も、あるにはあるようだ。
残念ながら、僕には、19年かけても、その極意をつかむことはできなかった。


そう、『64(ロクヨン)』の主人公と同じように。