今日のブログは読まないでね!
昔から頭の構造が、なんというか、『中央に向かう』ようにできているような気がするのだ。
たとえば、会社にいるとき、僕の書く企画書は、短い。
いっぽう、凄いなと思う連中の企画書は、長くて大作である。
短い分、僕の企画書は、凄い。
と言いたいところだけど、実際のところ、ライバルたちの企画書のほうが、あらゆる面で、僕のを上回っていた。
まあ、その悲しい事実は、いまはおくとして、僕が言いたいのは、広げる方向に頭を使うことが上手な人と、反対に、凝縮する方向に頭を使うのが得意なひとがいるような気がするということだ。
たぶん、文学で言えば、広げる方向に向くひとは、小説家となり、凝縮する方向にむくひとは俳人などになるのだろう。
いま、その、凝縮する、エッセンスのみを早急に求める、という癖が、だんだんひどくなってきたような気がする。
昔あれだけ好きだったのに、最近、ほとんどと言ってよいほど、小説は読まない。
ちょっと買って手を出してみても、すぐに、面倒くさくなって、放り出してしまう。
若い頃から考えると信じられないのだけど、ときに、文章を読むことが、面倒くさくなってきた。
読むなら、できるだけ、読みやすく、短く、メッセージが最小限で伝わるように書いているものが良い。
そうでない文章のとき、離脱率が、ハンタなく高い。
この調子でいくと、そのうち、比喩どころか、形容詞がいくつかあるだけで、つまずき、やがて、文章そのものと別離の日が来るのではないかと、恐れている。
これは、それなりの長さの人生を生きてきて、とんでもない発見に巡りあうことが少なくなったからだ、と思いたいのだが、どうやら、僕がもっている資質が加齢とともにひどくなったのではないかと思うのだ。
ともかく、そんな風なので、ここに書くときも、いつも、最短で、わかりやすく、と思っているのだ。
しかし、なんだ、今日のこの文章は。
大阪市立美術館の紅型展で陶然とし、NHKの草間彌生に殴られ、いままたテレビで安藤忠雄の生き方に刺殺されて、なお、書くべきことは、これか。
だから、タイトルに書いたでしょ。
今日のブログは読まないでね、って。
余計な形容詞や比喩がないどころか、伝えたいメッセージがそもそもありません。
まあ、たぶん、断捨離ではないけれど、こうして僕は、あの世とやらに、一歩一歩近づいていくんだな、と思っている。