ICHIROYAのブログ

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「死後の世界」はあるのだ!

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占いや血液型性格判断は信じなくても、死後の世界はあるかもしれない、と思っている。
あの天才理論物理学者ホーキング博士や、あのインド不可触民を救う仏教徒の指導者佐々井秀嶺師でさえ、死後の世界なんてものはない、と断言されている。

しかし、あるかもしれない、と思うのだ。

僕は大学で農学部に5年間も学び、というか、所属し、なにも学ばなかったのではあるが、科学的に、論理的に思考する、ということについては、嫁から多大な信頼をいただいているものである。
そもそも、科学ってやつは、すべての謎を解き明かしたような顔をしているけど、じつのところ、肝心かなめのところは、何も説明してくれていないのである。

137億年前に、ビッグバンで宇宙は生まれ、膨張して現在にいたり、将来はまた、縮みだして(ビッグ・クランチ)無に戻るという。
ふむ、ホーキング博士がそういうなら、きっとそうに違いない。

でも、世界が「無」であるって、どういうことなの?
また、逆にいうと、いまこうして我々や宇宙が、「存在している」ってどういうことなの?
そう考えると、眠れなくなるではないか。

そんな疑問に、現代物理学が、「ひも」や「多次元」を持ちだして説明してくれても、はっきりいって、さっぱり理解できない。
物理学者たちは、数学的思考を積み上げて、それを数学的な表現で説明してくれる。
たいていの人間は、微分積分あたりで、数学的な思考についていけなくなるから、そんな説明を聞いても、さっぱりわからない。

しかし、そもそも、宇宙、あるいは存在の謎を、現在の数学的思考で説明できる、と思うこと自体、間違っている。
いわば、部屋の暖かさを、分度器で測るようなものではないか、と思うのだ。
今後も、どれだけ、科学が疑問を解明していっても、肝心要の謎には、届かないだろう。
ちょうど逃げ水のように、謎の核心は逃げていくのである。



なぜこんな話をするのかと言うと、水木しげるさんがマイブームなのである。

このあいだ、柔道の金メダリスト松本選手が緑の妖精を見たと言って話題になった。
その話に関してすこしネット上を巡っていたら、水木しげるさんがこんなことを言っている、という話を読んだ。 ( 出典を知りたくて水木さんの本を数冊取り寄せて読んだが、まだ出典は不明 )


飢餓状態や極限状態で糖分が異常に低下すると見えるそうだ。

飢餓行軍中、目の前に化け物が現れた時でも、バナナ一本食べると消滅すると。

ただ、不思議がっていたのは、糖分が極度に低下すると、

10人の兵士が、別々に出かけて行っても、同じところで同じ妖怪、化け物を見ること。

で、森や水木は妖怪、幽霊は存在すると信じていた。

ジャングルの中に棲む裸族などが妖怪の絵を描くのも、糖分が不足しているので、

日常的に妖怪、幽霊が見えるらしい。

そこを飢えた日本兵が通ると、同じ妖怪を見るとも水木は言っている。

************(以上転載)



この話を信じるとすれば、極限状態まで練習をしていた松本選手が妖精を見た、ということは、科学的にもありえる話だと思える。
しかし、水木さんの体験のように、同じように減量や厳しい練習で、体力の限界まで追い込まれた他の選手も、同じ麦茶に、同じ妖精を見るかもしれない。
そして、その妖精が同じ顔をしていたら、やっぱり、「はてなちゃん」とかなんとかいう名前をもつ、緑の妖精が「実在」しているかもしれないではないか。

とすれば、妖精だけでなく、「死後の世界」もあるかもしれないではないか。
数多の臨死体験を調べてみると、「死後の世界」は人によって違う、属している文化によって違うという。
だから、臨死体験で見る「死後の世界」は、幻想に過ぎない、と科学者は言う。
でも、「臨死体験」というのは、あくまで、「死にかけたひと」が見たものであり、「実際に死んだひとが見たもの」ではない。
臨死体験」をいくら調べても、「死後の世界」を知ることができるとは限らないのである。

 

あれ~~
卒業を取り消す、なんて言わないで! 
僕が死んだら、きっと、死後の世界があることを、証明しに帰ってきますから! 

 

( 写真はアンティークの打敷 こんな天女がお迎えにあがります!