ICHIROYAのブログ

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惑星グリーゼ581dの宇宙人がゲイジュツを救う、か?

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ゲイジュツについて、僕が心配していることがある。

たとえば、こんな話をどこかで読んだ。
音楽、というかメロディーというのは、音符であらわすことができる。
音符の組み合わせは、

(ある程度の範囲の音程の数x長さの種類)x (ある程度の範囲の音程の数x長さの種類)x (ある程度の範囲の音程の数x長さの種類) x ・・・・・ 

を、メロディーとしてまとまりのあるところまでで切って、掛けあわせた種類できることになる。

恐ろしくたくさんのゼロは並ぶに違いないが、有限である。

つまり、いつまでも、耳に新しい「新曲」を楽しむことはできない、ってことだ。
ひょっとしたら、すでに、人類は、メロディーのすべてをお試し済みで、まったくの「新曲」というのは、すでに存在しないかもしれない。

この話を読んだとき、そんな心配は無用という結論も合わせて書いてあったんだけど、いまではその論拠も忘れてしまったし、そもそも、その論拠はすっと胸に入って来なかった。

あいかわらず、心配だけ残っている。

ゲイジュツはすべからく、この種の危機に陥っているのではないか、と僕は、おおいに心配している。

グレン・グールドのように、キース・ジャレットのように、僕をぶっ飛ばす演奏はもう聴けないのか。
クロサワより胸を熱くする映画はないのか。
ガルシア・マルケスより、僕の書きたい気持ちを殺してしまう小説はないのか。
・・・

小説も、音楽も、ジャズも、映画も、いつの頃からか、腰を抜かすような体験をしなくなり、興味が薄れてきた。

いや、きっと、これは、単に歳のせいだ。
感性が鈍っただけで、凄いゲージュツは、いまもあらゆる分野で生まれている。

のか?

アートだって、抽象美術の出現、アンディ・ウォーホール以降、袋小路のような気がするし、川久保玲以降、ファッションでも、驚天動地の様式は生まれていないような気がする。

ゲージュツの革新は、異文化との接触によって起きることが多い。
しかし、地球は小さくなって、未知の異文化はなくなり、まったく新しいゲージュツ、美の様式、方法が生まれることは、なくなってしまったのだろうか。

いや、きっと、がんばって長生きすれば、また、ショックでころりと死ねそうな音やアートに出会うことができるはずである。
人類にはそれだけのチカラがある。
30世紀の人類が、歴史を振り返って、「ああ、20世紀でゲージュツは終わっちゃったな」と嘆くことなど、絶対にあるまい。

しかし、それはどこから生まれてくるのかな。

それには、やはり「未知との遭遇」が必要である。
ちょっと調べてみたら、惑星グリーゼ581dには、宇宙人がいるらしいではないか!

頼むから、早く地球に来てくれ!
そして、君たちの間で一番流行っている歌を、一曲歌って聴かせてくれ!
カラオケはないけど、マイクは用意して待っている!


(写真は 日本趣味からアールヌーボ・アールデコが生まれ、日本の着物がそれに影響されて大正浪漫が開花 たとえばこんなデザインのアンティーク昼夜帯 )