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ICHIROYAのブログ

元気が出る海外の最新トピックや、ウジウジ考えたこととか、たまに着物のこと! 

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「親友」なんていない僕はダメなやつか?

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みんな、「親友」というものをたくさん持っているようである。
この歳になっても焦る。

自分に「親友」と言えるひとが何人いるのか、ためしに、指を折ってみる。
どう考えても、片手を超えることはなく、「親友の定義」次第では、その片手も危ない気がしてくる。

師匠、尊敬する上司、かわいい部下、相互利益の関係にある取引先は、もちろん、除外する。
そのうえで、どういう関係だったら、親友と呼べるのか、考えてみた。

「親友」というからには、「AがBを思うレベル」と「BがAを思うレベル」が同等と考えられる。
同等でなく、いっぽうのレベルだけが高ければ、それは、単なる憧れや片思いになってしまう。

とりあえず、友を思うレベルを、4段階に分けてみる。

(1)相手のためなら、5億円、出してやれる

(2)相手のためなら、5000万円、出してやれる

(3)相手のためなら、50万円ぐらいなら、出してやれる

(4)相手のためなら、5千円ぐらい、奢ってやれる

さて、お互いの気持が(1)の場合、まず、それは、疑いなく、「親友」と言って良い。

5億とは、サラリーマンの生涯賃金2億でも、足りない金額である。
つまり、一生、命そのものと言い換えても良い。

ありえない話ではない。
司馬遼太郎の本で、それが絵空事ではないことを、知っている。
また、戦場では、そういったことを、フツウのひとがおこなったことを聞いているが、それは明日死ぬかもしれぬ戦場という異常な世界での出来事であり、いま、この平和な世界で、それを想像するのは難しい。

「俺は、(1)の親友を持っている」と言い切れる人は、現代の日本には、あんまりいないはずである。
「相手のために、自分は死ぬ」ということは、ちょっと無理して言えるかもしれないけど、「相手が、自分のために、死ぬはず」と言えるひとは、やっぱり、いないはずだ。

では、どのレベルが、皆が言う、「親友」なんだろうか。

(3)のレベルだったら、「親友」と呼んでもいいんだろうか。

50万は小さくはないお金だけれど、人生を左右するほどの大金じゃない。

自分の胸に聞いてみる。
そいつが窮地に陥っていて50万で救い出せるとしたら、出したい相手が何人いるか・・・
結構いる。
ただし、そう思う相手が、向こうでもそう思うかどうかは、別の話だ。

相手は誰もそう思ってくれないかも、と思うと、やはり、寝れなくなりそうだ。
しかし、1割でも、2割でも、同じ思いを持ってくれる相手がいれば、自分が思う相手より相当少なくても、いくらか「親友」はいる、ということになる。


が、実際のところ、それで「親友」なのかな、みんなの言う「親友」って、(2)のレベルじゃないか、と不安になる。

上のレベルはあくまで、話を面白くするために、おカネを尺度にしたものだけど、

  時間 ≒ お金

の面もある。

(2)をマジメな言葉で言い直せば、「友が窮地に陥ったら、自分の時間を、数年以上かけてでも、助けてやりたい」ってほど、相手のことを思っているってことになる。

そういうことって、親子や恋人同士だったら、とくに珍しくもなく起きる。
だから、愛情のレベルとして、机上の空論って言い切ることはできない。

でも、友達に対して、そこまでのことを、したいと思うか。
それほど、尽くしたい、尽くしても悔いのない自信のある、友がいるのか、と考える。

そして、もっと難しいことだけど、そこまで思ってくれる、友達っているのか、と考えてみる。

なんだ、簡単に答えはでるじゃないか。

そんな友達は、絶対に、いない。

つまり、(2)のレベルで思い合う「親友」は、いない。
今後も、そんな「親友」は、できそうな気はしない。
だから、それが皆の言う「親友」なら、僕の人生は、「親友」とは無縁のようだ。


ここまで書いてきて、自分の考えがまとまり、ちょっと不安感が薄らいだ。

こう考えることにする。

とどのつまり、「親友」は幻想である。
「今日から、俺達は、親友だ」って、神の前に誓いを交わすわけでもなく、
「親友」の証の指輪を、互いに交換するわけでもない。
相手の気持ちは、どうしたってわからないのだから、「親友」を追い求めることは、砂漠で蜃気楼を目指すようなものだ。

でも、相手の気持ちとは関係なく、このひとは、と思う友達を多くもつことは、とっても素敵なことだ。
そのために、相手のことにもっと興味をもって、自分の時間を割く。
それだけで、充分だ。

そんな尊敬できる友達が、たくさんいれば、そのうちの、何割かは、同じ思いを返してくれるかもしれない。
それで、充分だ。


「親友」なんていないよ、でも、大好きな友達はたくさんいる。

胸を張って、そう言える人生にしたい。



 

 

( 写真は龍村製 千鳥の袋帯 たくさんの千鳥のなかに親友同士はいるのかな