ダンス必須化賛成!
唐子の盆踊り 名古屋帯
ダンス、ダンス、ダンス、である!
昨日、事務所のビルの1階のエレベーターそばの巣でかわいい声をあげていたツバメの赤ちゃんたちが、全滅した。
朝見たら、羽根が下に散らばっていた。
親たちは別のところに必死で巣作りを再開したらしい、と嫁が言う。
なんだか、涙が零れそうになる。
そして、夜、鳥の唐揚げに舌鼓をうつ。
ふと、Youtubeで見た鶏の屠殺シーンを思い出し、今度は死にたくなる。
でも、もちろん、死ねない。
そんなときは、ダンス!である。
どうせ下ろせないこの重い十字架に、踊り狂って一矢報いてやるのだ。
大学生のころは、ディスコで華麗なステップを踏んだ僕である。
鏡の前で、自分の姿を見ながら、なかなか上手いもんだと思いながら、踊ったことは、もっとも忘れてしまいたい過去の一幕ではあるが、女の子に声をかけても、無視で返される悔しさは、そうやって踊っていると、汗とともに身体から抜けていった。
やっぱり、いまは、ストリートダンスがしたい。
習わなくても、ムーンウォークぐらいはできる。
ジムに通っているとき、ストリートダンスの教室があったので、参加してみた。
鏡に映る50過ぎのオヤジは、たしか、僕のはずなのだけど、鏡の向こうのオヤジは、リズムをはずして変な動きをしている。
あれは、ストリートダンスではなかった。
そういえば、現在83才の僕のオヤジは、社交ダンスが趣味である。
いまだに、近所のダンスクラブで踊り狂っているらしい。
この「踊りたい欲求」は、オヤジの血を引いているのかもしれない。
10代からはすでに「初老」と分類されているに違いない僕には、社交ダンスが最適なのかもしれない。
しかし、少し年下のおばあちゃんたちの手をとって、踊っているオヤジのなかの頭のなかに、どんな想念が渦巻いているのか、ちょっと想像してみたら、怖くなった。
やっぱり、社交ダンスは嫌だ。
ご存知の通り、中学校でダンスが必須科目になった。
その適否について議論が沸騰したようだが、はっきり言って、いつもアンポンタンばかりやっている文部科学省にしては、英断である!
人生は、踊り狂うほかに、解決のしようのないことがあるのである。
中学生のころから、自由に踊る術を身につけておけば、ツバメの子供たちが、たとえカラスにやられてしまったとしても、そして、自分がカラスより、さらに悪質な存在であることを気づいたとしても、踊り狂って、やり過ごすことができる、というものだ。
中学校からやり直せない僕は、もう仕方がない。
夜中にひとり、こっそり、盆踊りだ!
ね、きっと、あなたも、そんなとき、こっそり、夜中に盆踊りしてるんでしょ?