ICHIROYAのブログ

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俺の子分になれ、骨は拾ってやる

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唯一誠 東郷平八郎 羽裏
 


俺の子分になれ、骨は拾ってやる、と言われたことがある。

冗談だらけのこのブログだけど、今日だけは信じて欲しい。
もう20年も昔のことだけど、たしかに、一字一句、このとおりに、言われたのである。
始まったばかりの酒席で、主賓の方が、わざわざ僕を隣に呼んで座らせて、こういったのだ。

念のために言っておく。
たしかにそのとき、僕は「組織」に属していたが、その「組織」は暴力的な「組織」ではなく、「一部上場企業」という「組織」である。

その人は、直属の上司の、その上の上司で、まもなく、取締役というポジションにおられたかたで、僕たちの部署に異動してこられたばかりだった。
たまたま、その方のためにした最初の仕事がうまくいき、とても気に入られたようなのだ。
また、そのひとは、僕達の部署にいたことはなく、部署の人心掌握を急いでおられたようだ。

さて、しかし、僕も簡単に尻尾を振れない理由もあったのである。
当時、僕は直属の上司に心酔しており、その直属上司とその人のあいだに、すでに相当不穏な空気が流れていたのである。

僕もサラリーマンであり、良いサラリーマンになろうと、懸命に、努力はしていたのである。
心酔している上司のためなら、千切れるぐらい、尻尾ぐらい振ろうというものだ。
かりに相手がどんなひとか良く知らなくても、取締役直前の上司のためなら、さらに、千切れるほど、尻尾も振って見せよう。

しかし、困ったことに、尻尾は2本ないのである。
振りたくても、両方に尻尾は、振れないではないか。


「俺の子分になれ、骨は拾ってやる」

いまは、平成の世である。
たしかに、西郷隆盛乃木希典の時代であれば、「よし、このひとのために、立派に死んでみせよう」と、心に響くかもしれないが、いまは「坂の上の雲」を目指している時代ではない。
意表をつくその台詞に、つがれたビールのグラスを持ったまま、僕は固まった。
「・・・・・・・」

組織上は、僕はそのひとの部下であり、どうせ子分みたいなものだ。
僕は必死で考えた。
しかし、「骨を拾ってやる」とは、どういう意味か?

誰かを「ヤル」必要があるのかな。
お勤めから帰ってきたら、会社にはいれるわけにはいかないが、おつきの運転手ぐらいにはしてくれるのかな。


僕は、いまなら、はっきりわかるのである。

「ありがとうございます! この盃、ありがたくお受けします! この身が、野で骸になっても、あなたのためにがんばりますので、よろしくお願いします」
と、なぜ言えなかったのか。

あのとき、躊躇して、ちゃんとした答えを言えなかったとき、僕のサラリーマン人生の将来は、はっきりと、終わってしまったのである。

そのひとが先にどうなったか、ということは、大きな問題ではない。

必要だったのは、誰かを「ヤル」覚悟を固めることではなく、「即座に」了解することだったのだ。
あとは野となれ、である。


それが組織人として生きる知恵というものだ。

いや、それが組織人として生きる知恵というもの、なのであろう。

いや、たぶん、おそらく、それが組織人として生きる知恵というもの、ということもあるのかもしれない。

・・・・・・・