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ICHIROYAのブログ

元気が出る海外の最新トピックや、ウジウジ考えたこととか、たまに着物のこと! 

★★★当ブログはじつはリサイクル/アンティーク着物屋のブログです。記事をお楽しみいただけましたら最高。いつか、着物が必要になった時に思い出していただければ、なお喜びます!お店はこちらになります。★★★


くたばれ、フェイスブック

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薔薇の刺繍 名古屋帯



どうやら、世界は完全にフェイスブックに支配されてしまったらしい。

だから、僕も、積極的にフェイスブックを利用して、皆さんに負けないように、自分というものを押し出していかねばなるまい。
「謙譲の美徳」を信条に生きてきた僕ではあるが、世界が変わってしまったのではしかたあるまい。
変化できるものだけが、生き残っていける、のであるから、フェイスブック君臨後の世界に合わせて、「謙譲の美徳」などかなぐり捨てるのが正しい生き方である。

まずは、仕事の話をもっと投稿すべきである。
いかに自分の知識とセンスが優れていて、最高級のものを扱っているか、あるときは声高に、あるときは、さりげなく、掲載しなければならない。
フェイスブックに載せるような逸品は、そんなにたくさんない、とか、泣き言はなしである。
ないならないで、「フェイスブック用に無理にでも仕入れる」ぐらいの発想の転換が必要である。

人間関係の広がりが、もっと見えるような投稿も必要である。
つまり、有名人、業界の有力者、偉くなった昔の友人などとの交流は、何をおいても投稿するのが必要である。
たとえ、一部上場企業で取締役になった友人は、昔、いじめてしまったために、最近は年賀状の返事すらない、としても、である。
そんなことは、フェイスブックの読者にはわかるまい。
一部上場企業の取締役と知己である、という事実のみが重要で、さらにそれをフェイスブックに投稿することが、もっとも重要なのである。
面識のない有名人、業界の有力者の名前も、なるべく投稿の中に織り込んでいこう。
親しげに書くことがポイントであることは言うまでもない。

そして、もちろん、自分が、どれだけ豊かな生活をおくっているか、ドラマチックな人生を生きているか、ということも、積極的に投稿していく必要がある。
もう、どうせ、プライバシーなどないのであるから、躊躇する意味はない。
素敵なレストランで、ワインを傾ける機会は、やっぱり、頻繁にあるべきであろう。
頻繁にないのであれば、同じくフェイスブックに真面目に取り組んでいる知人を誘って、フェイスブックの記事のためにレストランへ行けばよい。お互いに写真も撮りあえて、便利である。
華やかなナイトライフの披瀝が肝要ではあるが、そのほかのアクティビティにも、バラエティをもって、参加していることを見せることが、重要である。
最近では、SNS用に、色々な一日講座が開かれているようである。
お茶や能鑑賞、社交ダンスや書道、楽器など、さまざまな文化的な営みは、本来、継続的な取り組みが必要なものであるが、フェイスブック上では、ひとつの道を極めるというのは、彩りに欠けるものである。
その点、一日講座のようなものは、そういったものをひとつのアクティビティにしてくれるので、お手軽に参加でき、フェイスブックでの紹介も、読者にうけやすい。

家族との愛情に満ちた生活を、ドラマチックに見せる、ということも、自分の人柄を印象つけるためには、とても有効である。
たとえば、おばあちゃんの誕生日に、年齢にあわせて、87本の薔薇を送ってあげる、というようなことである。
いままで、そんなことを、したかしなかったかは、この際、問題ではない。
しかし、おじいちゃんに連絡して、おばあちゃんが薔薇を抱えて笑っている写真を撮って、携帯で送ってもらうようにすることだけは、忘れてはならない。


とか、思いつつ、毎日、お笑いネタばかり投稿している僕は、
やっぱり、落ちこぼれだろうか。


毎朝、4時に起きて、
PLの塔の横を通って会社に来て、
5時半の新商品出品の準備をして、
ブログの記事をひとつ書く。
9時前には、スタッフや嫁がやってきて、
後片付けから、仕事開始。
その日の写真撮影分の商品を選び、
朝会で皆に説明して、
すこし笑いをとり、
昼になったら、嫁のお弁当かカップラーメンを食べて、
夕方7時まで、ひたすら、説明文を書いたりチェックしたりする。
最後に会社を出て、
家についたら、ラブを連れだして、
錦織公園に散歩。
家に帰ったら、嫁と麦と、たまには祥子も加わって、
嫁のつくった夕食を食べ、
9時のNHKニュースを見て、シャワーを浴びて、
10時に寝る。

フェイスブックに書きたいようなことは、何もない日課が、今日も、明日も、あさっても続く。

しかし、原発事故のとき、僕は知ったのだ。
もし、原発事故がさらに拡大し、どこかに避難しなければならなくなったら、どうしよう。
すでに、多くの人々が命を失い、日常を失っている。
夕焼けで赤く染まった空のもと、ラブの引綱を持った僕は、いままで感じたことがないような恐怖を感じて、立ち止まった。
そして、はっきりと悟ったのだ。

自分が、この退屈極まりない日常を、いかに深く愛しているか、を。