ICHIROYAのブログ

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英語、中国語、プログラミング言語の本を捨てよ、書を習え!

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春夏秋冬 紬名古屋帯

 

上手な文字が書きたい。
キーボードでの文章入力がメインになってから、手書きするのはメモぐらいである。
どやら指の神経も訓練を怠るとどんどん退化していくようで、その走り書きの文字ですらだんだん下手になっていく。
最近では、スタッフにあてて書いたメモが、あまりに汚く、読めるかどうか、心配になってきた。
すでに、過去に書いた自分の文字が読めなくて困ることがあるが、このまま推移すれば、他人どころか、自分で読めるように文字を書くことが困難になること必定である。


走り書きだから汚いのであって、ちゃんと書こうと思えば書けるのだ、と思ってみる。
が、イメージしている線、形と、自分の指が実際に描き出す線、形は、同じものとは思えないほど異なっている。
不思議なことに、ゆっくり丁寧に書いてみても、結果は汚い走り書きである。
もう何十年もいっしょに暮らしているのに、指のやつめ、僕の思うとおりに動いてくれない。
ま、それは指に限ったことではないのではあるが。

なぜ、こんなことを急に思ったかというと、とあるネットショップさんでから送られてきた品物に、とても達筆な筆書きのカードがついていて、いたく感心したのだ。
そのショップのオーナーは書の心得があるようで、おもての宛名書きも、筆書きだった。

また、最近、いろんなかたのブログを拝見するのだが、そのなかに、おひとり、手書きの文章を写真に撮って掲載しておられるかたがいる。ペン書きであるが、それがまた上手な文字で、とても良いのである。
なぜ、そのようにしておられるのかはわからないが、手書きの文字に対するこだわりをお持ちなんだろうと思う。


毛筆の手書きで丹念に書かれた「ありがとう」と、パソコンで打たれプリンタが印字した「ありがとう」。
1000倍ぐらい伝わるものが違う。
そして、上手な文字は、そのひとの人格の高潔さまで示しているように思える。


よし、書を習おう。
英語や中国語なんぞ、あとまわしでよい。
書の修練によって、さらに高潔な人格と高度なコミュニケーション能力を会得するのだ。
海外のお客様に聞かれ、いつもわからなくて恥をかいている、崩し字だって、読めるようになるかもしれない。

そういえば、最初のインド旅行。

プーリーという片田舎で、トラベラーズチケットの換金をしようとしたら、サインが違うと言って、換金を拒まれた。
「なに言ってんだ、あんたは、日本語が読めないからそう思うだけだよ。こっちのサインとおんなじだよ」
と抗議するものの、銀行の係員は、表紙(か表紙裏)のサインと違うの一点張り。
「ここの線が、ここの線とくっついていない。これは同一のサインではない」

そこで換金できなければ、カルカッタに帰ることもできない。
僕は、自分のサインを見ながら、寸分、異ならないものを書いて見せようとする。
が、それも係員には、ますます怪しく見えるらしく、首を横に振るばかり。

はじめての海外一人旅である。
お金が換金できず、一文無しになってしまったら、いったいどうなってしまうのか。
そこの線と、そこの線がひっついているかどうかは、問題じゃないんだ!
これはどう見たって、おなじ筆跡のサインじゃないか!

そのインド人には古代の解読不能な象形文字にしか見えないに違いない「漢字」を呪い、軽い気持ちでサインの見本を書き、いまそのとおりに書けない不器用な自分を呪い、ハンコが通用しないインド社会を呪った。
もう、やけくそで、見本も見ず、数十回、自分の名前を別の紙に書きなぐった。
すがるような思いで、彼にそれを見せたら、どうやら、そのなかのひとつが、サインの見本と一致したらしい。
ようやく、彼は換金に同意した。


ええ、絶対に、書の勉強を始めますとも。
そして、まずは、サインから。
ちょっと、いまは忙しくて時間が取れないので、そのうちに。
絵手紙でもできたら、ここに発表しますので。