ICHIROYAのブログ

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サーキットの狼と呼ばないで

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御所車 螺鈿袋帯

 

50才を過ぎたころから、身体が言うことをきかなくなるまえに、やっておきたいことはないか、と考えるようになった。
剣の道では一敗地にまみれたが、だからなんだっていうんだ。
死期は日一日と近づいている。

で、決めた。

サーキットの狼になるのだ。

思い返せば、自動車普通免許をとって30年。
公道では、いつも負け犬であった。

後ろから来た車には道をゆずる。
前から来た車にも、右から来た車にも、左から来た車にも、道を譲る。
車間をちゃんと開けているだけなのに、いつもみんなが僕の前に割り込んでくる。
高速では、100kmを超えたらバクバクする。
峠道では明らかに排気量の小さな車にあおられる。
一度などは、強面な車を怒らせて、道を塞がれて逃げ出したこともある。

それもこれも、おれの運転がヘタだからだ。
いや、ヘタというより、たまたま忙しくて、車の運転の練習に十分な時間を割くことができなかったのである。
レーサーの資質だってあるような気がする。

そうだ、サーキットの狼になって、みんなを見返してやるのだ。
皆がおれの車を見れば、畏怖して、自然と道をあけるような、そんなサーキットの狼になってやるのだ。

サーキットで凄い腕だという、業界の先輩のAさんに、入門を願い出た。

Aさんといっしょに、夜の信貴生駒スカイラインに行く。
生まれて初めて、凄い腕の運転を体感させてもらい、驚愕した。
僕には考えられないスピードでカーブを曲がるのだが、タイヤは地面に吸いついて、まるで、レールの上を走っているジェットコースターのごとくである。

練習、練習、練習だ、とAさんが言う。
毎日、毎日、考えて走る、そして、毎日、練習すれば、これぐらいは、走れるようになる、と。

おれは開眼した。
ドライビングというのは、ほかのスポーツと同じで、練習すれば、うまくなるし、練習しないと、うまくならないものなのだ。

その日から毎日練習である。
早朝5時前、自宅から事務所に来るときも、ちょっと遠回りをして、カーブの多い道を通ってくる。
カーブ直前ぎりぎりまで突っ込んで、ブレーキ。
ブレーキを残しながら、高速でカーブを曲がる。
直線では、がつん!とおもいっきりブレーキを踏んで、どの程度でABSがきくか確かめる。

夜の練習には、ラブを助手席に乗せて、金剛山の麓を走る。
しかし、僕は練習の鬼である。
「車、いくぞ!」と呼ぶと、最初は、ちぎれるぐらいに尻尾をふって助手席に乗り込んできたラブだが、最近は、呼んでも、乗ってこない。
熱くなってくると、ちょっと車が揺れる。
ラブは、最初座って窓から鼻を出したりしてるが、そのうち座っていられなくなり、這いつくばる。
それでもカーブを攻めると、ラブは前足を、シフトレバーにかけた僕の左腕にのせる。
さらにがんがんカーブを攻めると、ラブは両足、上半身を、僕の左腕とシフトレバーを握る左拳にのせてきて、何か訴えているようでもある。


サーキットを走るためには、ヘルメットをかぶり、手袋をする必要がある。
練習の鬼のおれは、サーキットデビューの前日には、そのシュミレーションをしようと、ヘルメットと手袋をして、街を走ってみる。
歳末の気忙しい時期であった。
信号待ちで止まったら、横の車のアベックが、おれのヘルメット姿をちらちらと見ている。
おい、おれは、コンビニ強盗じゃないんだぜ。
警察に電話するのは、よせ。

そして、おれは、晴れてサーキットにデビューしたのである。

長くなったので、この話の続きは、また今度にしよう。

お願いだから、おれをサーキットの狼と呼ぶのはやめてくれ。
狼は、まだ、すこし早い。
照れるじゃないか。