ICHIROYAのブログ

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僕が聞いた生涯で最高にドラマチックな一言

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皆川月華の絽黒留袖:鯉の絵



塩野七生さんの著作によれば、シーザーはたった一言で軍を自在に動かしたという。
不平を募らせ、もっと与えよ、さもなくば除隊させよと声を上げた子飼いの軍団を前に、演説に立ったシーザー。何が望みかと聞くシーザーに、除隊させよと口々に叫ぶ、もっとも頼りにしていた軍団の兵士たち。シーザーがその力をもっとも必要とするときを見透かした、身内の反乱であった。
しかし、シーザーの答えは、たった一言、「除隊を許す」であった。
あわてた、兵士たちは、シーザーに許しを乞い、名誉回復を誓って彼の遠征に従ったのである。

僕も、そんな、鮮やかな一言を聞いたことがある。
それはまさに、僕が体験した、生涯最高のデラマチックな一言であった。

その言葉を言ったのは、井垣くんという、高校2年間と大学4年間をともに過ごした愉快な友達である。彼は高校、大学を通じて山岳部に所属し、ヒマラヤ遠征なども経験した本格派の山男である。
口を開けばシュールなことを言うが、どちらかと言えば、山男らしく寡黙な男である。

もうひとりの主人公は同じく高校の同級生の女性で、名前を「さっぱ」さんという。
漢字は控えるが、この話では、名前が肝心なので、名字の読みは伏せることができない。
でも、とくに伏せる必要もない、とってもいい話なのである。

高校時代の友人たちとの交流は深く、卒業後20年以上経っているが、いまでも年1回の同窓会も続いており、最近では、フェイスブックでクラスを越えた交流も復活している。
何年か前、僕も久しぶりに同窓会に参加し、その「さっぱ」さんとも再会した。
高校時代はどちらかと言えば地味な存在だった「さっぱ」さんが、薬剤師として活躍されており、相当にこだわっておられる音楽の趣味の話を熱く語られる様子も見て、彼女がそういったひとだったんだと、まさに、再発見して驚いたこともある。

さて、高校時代のあるホームルームの時間。
その日、クラスの自主運営にまかされたホームルームの時間に、学園祭の準備などの、とくに必要な課題もなく、何をしようか、ということになった。
そこで、そのときのクラス委員トミオくんが、やる、と言い出したのは、こんな趣向である。

クラスの人数分の紙を用意し、一枚ずつそれぞれの名前を書く。
その紙をランダムにクラスの全員に配って、それぞれ、配られた名前のクラスメートについて、思うことを書け、という。
そして、それを集めて、すべて発表する、というのである。

それでなくとも、思春期のお尻の青い高校生である。
友達のなかで抜きんでたい、目立ちたい、おもしろいことを言いたい、はっきりした自分の場所を確保したい、そして異性に認められたいと、毎日、毎日、生存競争を戦っている時代である。

まったく、ろくなことを考えないヤツである。
トミオくんのように、お笑いの神様が背後霊のようについているヤツはいいだろうが、これといってウリもない僕は、なんと書かれるか、気が気ではない。
いまでも、その時の嫌な気分はありありと思い出すことができる。
それほど、印象的な出来事だったのである。

もちろん、配られた名前も問題である。
書きやすい相手もいれば、書きにくい相手もいる。
クラス全員のことをよくよく知っていれば、書きようもあるだろうが、とくに女子のこととなると、名前ぐらいしか知らない人もいるのである。

僕が誰のことを書いたのか、いまでは覚えていない。
覚えていないので、そこそこ親しい人の名前が回ってきたんだろうと思う。

それよりも、井垣くんである。
誰の名前が回ってきたのか、こっそりと、お互いに、名前を見せ合った。
井垣くんが引いた名前は、「さっぱ」さんであった。
当時、昨今の同窓会の元気さからは想像できぬほど、「さっぱ」さんは、地味な存在、上品でおとなしいお嬢さんというかんじだったのである。
僕ら男は、同性のことは裏の裏まで知っていてネタはいくらでもあるが、おおかたの女性のことはよく知らないのである。
井垣くんの顔がさすがに曇っている。

僕は彼に深く同情した。
だから、こんな企画はだめなんだよ。
自分のことをなんと書かれるかも不安だったが、書いた相手を傷つけてしまったらどうするんだ?
僕は内心腹を立てていた。

が、時間は来て、紙は集められ、トミオくんは一人ずつ、書かれたコメントを発表していった。
なるほど、というコメントもあれば、笑えるコメントもある。
が、僕へのコメントのように、「まあ、いいひとなんじゃない、よく知らないけど」みたいな、笑えもせず、微妙な雰囲気のまま終わるコメントもある。

たぶん、ひとりがひとりのコメントを書く、というこの方式がうまくなかったんだと思う。
ひとりで数人のコメントを書き、ひとりひとりについて、数人のコメントがあれば、いろいろな発見やいい話ももっとでてきたのではないかと思うのだ。

さて、僕へのコメントの発表も終わり、ほっとしたあと、「さっぱ」さんの順になった。

僕はそれを井垣くんが書いたことを知っているが、どう書いたかは知らない。
皆は、誰が書いたかも知らないし、当時、地味目だった「さっぱ」さんのことを、誰がなんと書いたのか、息を飲んで待っている。

「さっぱ」さんも、僕以上に、自分のことをなんと書かれるのか、どきどき胸を高鳴らせていたに違いない。

そして、読み上げられた井垣くんのコメントは、たった一言。

「さっぱりしている」

であった。

クラスは、その日一番の爆笑に包まれた。
腹の皮がよじれて痛いほど、笑った。
しかも、暖かい、暖かい笑いである。

確かめたわけではないが、「さっぱ」さんも、喜んで笑っていたのではないかと思う。
こんど、同窓会で「さっぱ」さんにあったら、ぜひ、このときのことを覚えているか、どんな気持ちだったか聞いてみたいと思う。

それはたしかに、シーザー並の、最高にドラマチックな、感動の一言だったのだ。
僕はこの一言以上に鮮やかな言葉を、生涯聞いたことがない。