ICHIROYAのブログ

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着物食糧化計画を始動せよ!

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世界の人口は70億人に達し、うち、10億人は飢餓で苦しんでいる。
食糧危機は、今後ますます危機の度合をまし、ここ飽食の日本でも、いまのように、毎日1000万人分の生ゴミを捨てて、食糧危機は他人ごとと言ってはいられない日がくる。

さて、そこで着物である。
日本中のタンスに、とんでもない量の着物が、いまだ眠っている。
日本の世帯数はおおよそ、3000万。
若い学生の一人暮らしで、着物に無縁な世帯もあるし、本人、母、祖母の三世帯の着物がそのまま1世帯に残っている場合もある。
1世帯平均5着としても、1億5千万着の着物が眠っているのだ。

では、1億5千万着の着物の内訳はどんなものであろうか。
僕は大学も理科系だったので、論理的に積み上げるように考える癖があるのだ。(ついて来い~~!)

1)最利用価値から見た分類
 だれもが欲しい逸品        0.5% 
 ほとんどの人にとって着用可能    10%
 人によっては着用可能        20%
 素材として奪い合い        0.5%
 素材としても微妙          20%
 ただでも不要            49%  

2)素材からの分類
 絹       50%                   
 ウール       5%               
 綿や麻など    20%
 人絹(レーヨン) 10%
 ポリエステル   15%
 その他の合繊    5%

 

(いずれもICHIROYA調べ。2011年)

まず(1)から見ていこう。
「だれでも欲しい逸品」が少ないのは、想像しやすい。もともと、逸品は高価で誰にでも買えるものではなく数もすくないから、逸品なのであって、「着物買取業で儲けたる!」と志をたてても、逸品に出会ってうんと儲かる可能性はとても低いことがわかる。
「ただでも不要」「素材としても微妙」を合計すると、69%にものぼる。
1億5千万x69%=1億350万着が、要は、「いらねー」と言われる着物なのである。
なぜか。

ひとつめの理由は、着物は衣服なので、着たら汚れることがある。
着物を着てカレーうどんを食べたら、衿にシミがつくことがある。
衿にお化粧や体液が付着し、筋状の汚れを残す場合がある。
雨の日に早足出歩いたら、裾にはねのシミがつくこともある。
着物は汚れるものである、という認識が必要である。

ふたつめの理由は、伸びなくても良いのに、背が伸びてしまったことである。

3)女性30才代の平均身長の推移

1950年 149.0cm
1955年 149.2cm
1960年    150.2cm
1965年    151.2cm
1970年    152.0cm
1975年   152.9cm
1980年   153.6cm
1985年   154.8cm
1990年   155.9cm
1995年   156.8cm
2000年   157.6cm
2005年   158.1cm

厚生労働省 国民健康・栄養調査より~小数点以下はグラフの目視のためすこしアヤシイ)

まるで古着屋に恨みでもあるかのような伸びである。デザインはトレンドの回帰などもあって救いがあるが、10cmもでかくなってしまわれると、どんな美辞麗句でも救いようがないのである。

おもに、このふたつの理由で、大半の着物は、「いらね~」となってしまうのである。

業者間の市場にいくと、「いらね~着物」の多さに驚くばかりである。
着れる逸品や、材料として重宝される縮緬などは、皆、顔色を変え、声を張り上げて競り合うくせに、「いらね~着物」が出てくると、皆、携帯をみたり、隣と話をしたり、トイレに立ったり、寒い冗談を言って、さらに場を凍らせたりと、場の雰囲気は一変する。
売る側は、量で売ろうとして、「いらね~着物」を、さらに積んで、値段を下げる。場はますます凍っていき、「いらね~着物」は抱えきれない山になり、最悪の場合、「ただ!」と叫んでも、皆が下を向く。

もちろん、僕も志ある商売人なので、こういう運命にある着物にも、何か道がないか、と真剣に考えてみる。
実際、僕のところでも、残念ながら「いらね~着物」は、毎月、大量に出てしまうので、市の焼却施設に持って行って、箱ごと、巨大な焼却炉に放りこんでいる。しかも、KGあたりいくらかの料金を払って、である。
「え!着物を燃やすのか!」と立腹される方もおられるかもしれないが、「いらね~着物」はすぐに貯まり、売れないだけでなく、倉庫を占領し、倉庫代を食うのである。
「いらね~着物」を誰かうまく再利用してくれるひとに差し上げる、ということも、たまにはしないではない。
でも、「ひとさまに差し上げる」ということも、それはそれなりに、コストがかかってしまう。運んだり、保管するためには、運送料と保管料がかかるだけでなく、たたむ、必要があり、簡易たたみにしても、大量の着物をたたむには、労賃がかかってしまう。また、「玉石混交の着物のやま」から、商品価値のあるもの、労賃や保管料を差し引きしても利益の出そうなものを、「選り分ける」という作業が発生することが一番の問題で、それは、僕が自らしないといけない。
「取りに行きますから~」と言われても、ことはそう簡単ではない。最初はなんでもいいとおっしゃっていても、やがて、「使えないのはもういらないので、もうちょっと、小柄のものとか~」となってしまうのである。

業者のなかには、「いらね~着物」を、また市場にもってくるひともいるが、僕にはそこまでの度胸はない。僕のように、手をあわせて焼却炉に放り込んで、供養料を払うのは少数派なのかもしれない。
市場には、「いらね~着物」が今日も出品されて、ぐるぐる回っている。

そこで、である。
(2)で見るように、おおむね、半分は絹かウールなどの動物性の素材であることに注目しよう。
とくに、絹。
着物になった絹は、主に「フィブロリン」と呼ばれる蛋白質からできているのである。
蛋白質だから食べれるのではないか、と思ったら、すでに、シルクパウダーとして製品化されているではないか!
あれだけお荷物だった、「いらね~着物」も食べることができるはずである!

そこで、僕は、「着物食糧化計画」を思いついたわけである。
1億350万着分のうちの50%の絹、なんと5150万着の「いらね~着物」がゴミの山から、貴重な資源に生まれ変わるのである。
着物1着で、約1KG。
なんと、51,500トンのタンパク質が資源として再利用できるのである。牛でいうと、一頭から200KG程度の肉がとれる、ということなので、25万7500頭の牛に匹敵するのである。
これほどの素晴らしいリサイクルがほかにあるであろうか。

僕は、本気も本気で、この素敵なプランを考えている。
とくに、少し柄を残したりして、災害用のお洒落な保存食として製品化したら、売れること間違いなし。社会貢献と金儲けが同時に達成できる、というものである。

ただし、たったひとつだけ、乗り越えるべき技術的な課題がある。
着物に含まれている染料や表面の顔料を、どうやって取り除くか、ということである。

しかし、そういった技術的な課題は、科学技術の進歩に伴って、かならず克服されるであろう。
核廃棄物の問題と同じである。
悲観ばかりでは、未来は開けないのである。

さあ、着物食糧化計画を始動させようではないか!

 

PS) 冗談はさておき、この記事を書こうとして調べて知り、胸に刺さったこと。
  餓死している子供たちは、毎日3万人。