グリコ・森永事件の容疑者だったころ
グリコ・森永事件の容疑者のひとりだったことがあります。
話せば長い話なんですが、ほんとうです。
まあ、聞いてください。
いまの若いひとには、自分の書いたものが「活字になる」ことの素晴らしさなんて、これっぽちも感じませんよね。
だって、ブログや、携帯のメール、なんでもかんでも、簡単に活字になってしまいます。
でも、わずか、30数年前、自分の文章が活字になるっていうことは、とんでもないことだったんです。
まだ、パソコンやワープロなんていう便利なものはありませんでした。
小説家を夢見ていた僕には、自分の手描きの原稿を活字にするためには、どこかの賞に応募して入選するか、原稿を売り込むしか方法がありませんでした。
わかっちゃいたんです。
手書きだろうが、活字だろうが、内容は一緒。
手書きでだめなものは、活字でもおなじくまったくダメ。
でも、「自分の書いたものが、活字として読める」ということは、そのことだけで、熱病にかかるがごとくに、憧れてしまうことだったんです。
憧れは強くなるものの、もちろん、僕の書いたものを活字にしようなんて人はいません。
ついに僕は行動に出ました。
「和文タイプライター」なるものを、当時の月給分ぐらいを、つぎこんで買ったのです。
いまは絶滅しただろう「和文タイプライター」は、英文タイプライターのアルファベットのかわりに、日本語の漢字やかなの活字がずらりと据え付けられたもので、碁盤目状に置かれた活字から目的の文字を選んで、がちゃんと押すと、抜き出された活字がリボンの上に打刻される、というものでした。
活字を探すのも手間だし、欲しくてもない文字があったりして、現在のワープロからみたら、とんでもなく使いにくいものでした。
でも、自分の文章が活字になるのです!
下手な文章も、活字にしてみると、なんだか、名文に思えます。
まさに天にも登ったような気分です!
これで、作家への道も近かろうと、僕は、ミステリーらしきものを書き始めました。
当時の僕は、ガルシア・マルケスやリョサのような作家にはなれなくても、エド・マクベインのような、少し軽いけど、後味の良いミステリーなら書けるのではないか、と自惚れていたのでした。
時は過ぎ、作品は仕上がらず、和文タイプで、活字になる快感も薄れ、また、いつもの迷い道に逆戻り。
和文タイプを買う前からわかっちゃいたんです。
手書きでも、活字でも、ダメなものはダメ。
さて、僕がまだ独身で実家から会社に通っていたころです。
僕が留守の間に、大阪府警の刑事さんが、来たよ、と母がいうのです。
「和文タイプのこと、いろいろと聞いていかはったよ。グリコ森永事件の和文タイプとおんなじ、機種らしいで」
その和文タイプはあまり数が出まわるものでもないので、当時販売されたものを、すべて追跡調査して、ウチにも辿りついたようなのです。
「インクリボン、もらっていってもいいですか、っていうから、渡しといたし」と母。
インクリポンには、エド・マクベイン風のミステリーの傑作であるべきだった作品を刻印したあとが残っているのです。
やれ、「殺してやる」とか「誘拐する」とか「被疑者は自供を拒む」だとか、怪しい文章満載です。
僕は絶望とともに想像しました。
グリコ森永事件特捜本部、会議室。
「該当和文タイプの1台のインクリボンから別紙のような文章を採取しました」
で、捜査員が、一斉に、僕の創作品に目を落とし、
「所有者には、犯罪を空想する傾向があるかと思われますが、現時点では、書かれた内容と事件の接点はありません。
もう少し、洗いますか?」
冤罪を恐れるべきか?
へたなミステリーの真似事と大笑いされることを恐れるべきか?
はたまた、生まれて始めて、読者を得たことを喜ぶべきか?
眠れない夜が続きましたが、その後、大阪府警からの尾行されることも、尋問されることもなかったのは、幸いなことでした。
今回の話にオチはありません。
ぼくは、グリコ・森永事件の容疑者のひとりだったのです。